春が来る前の、まだ早い花粉症に鼻がやられている。頭がぼーっとして、年越しらしい一年の振り返りがうまくできない。でも、ちょっとやっておきたいからここに書いておこうと思う。
今年も今年で、ここ2、3年ずっと悩んでいる悩みを抱え続けた年だった。
その悩みはこれ。
「私は何がしたいんだろう?」
こんな問い、行動した後でないと正解なんて出てこないのは百も承知だ。それでも、思わずにはいられなかった。自分の思い切りのなさ、逃げる癖、なんとかなると思っている怠惰な思考。
それでもなんとかあがいてきて、自分の思考や思い出を言葉として記録しておくという習慣は持続することができた。
私は文章を書くのが好きだ。
でも、伝えたいことも知識もないから、中身が空洞なことに耐えられなくてずっと悩んでいた。でも、この前同居人にこう言われたのだ。それは、私が人に初めて日記を見せた時のことだ。
「どう?変じゃなかった?」
そううざい聞き方をしてくる私にむかって同居人はこう言った。
「変も何も、その人がどう感じるかはその人次第だし、あなたもそれが書きたくて書いた。それでいいんじゃないの?」
と。
私が書くことを恥ずかしいと思っていたのは、自分の思いや意見を尊重できてなかったからかもしれない。表現の自由って、そういうことなのか。と、同居人の言葉を聞いて初めて合点がいった。
私が思ったことも、書いたことも形にしたことも、許されるべきものだったんだ。相手がどう思うかはその人の勝手。そういう考え方は自分にとっても当たり前の事実だったけれど、そうであるならば、自分の作品もどう書こうがその人の自由なんだ、と、初めて権利と自分の自由が結びついた気がした。
最後の最後に、2019年を飛躍の年にできた。