「地球村の戦争と平和」(1972年)を著したマクルーハンは「人間拡張の原理」で、電子テクノロジーの発達によって「われわれは中枢神経組織を全地球的規模に拡大し、あらゆる人間経験を瞬時に相互関連させることができるようになる」と予言的発言をし、後のサイバーパンクに多大な影響を与えたと考えられる。
マクルーハンの秀逸さは地球という巨大な世界がテクノロジーによって縮小され村と化すと考えたところにある。
人間の本質がテクノロジーによって拡大された場合出現するのが地球規模の村だと云う、縮小と拡大、一見逆説的に見える事象を提示する事で人間と社会を見事に語りきっている点は敬服に値する。
確かに航空機や通信技術の発達で世界は縮小された。地球の反対側にいる人々とも今では瞬時にコミュニケーションが取れる、そう云った一見オープンに見える社会とは裏腹に、いじめ、ハラスメント等の”村“”を象徴するかのような現象は拡大しているように見える。(そう見えるだけかもしれないが)
個人が簡単にマスメディア化できる反面、個人攻撃もマス化している。無名の誰かが発した発言が世界中からフクロにされる現実を目撃している。
また、デマゴーグの拡散による魔女裁判的事件もホラー映画さながら、ネットで瞬時に世界へ配信される。
小松左京「牙の時代」が頭を過る。人類は確実に狂暴化しているように見える。
それは暴走する自動車の様にテクノロジーによって加速されたものなのか?
少なくとも自分自身の暴走は、自己で制御しなければならないと常に肝に命じている。
個人の暴走を食い止められのは、結局個人でしかないという、当たり前の現実それは今も昔も、そして未来も変わらないだろう。