この問は浅いようで深い。人生は思っている以上に短く、そのせいで今日も時間がないと騒いでいる人も少なくないだろう。しかし、時間が有限なのは何をしても変わることはなく、どのようなテクニックを用いても現状は時間を増やすことは寿命を延ばすことでしか解決できない。
コラム的に、寿命と時間、そして満足感について考えてみたいのだが、よく言う健康というのは、まさに時間をよりほしいから、長くいきたいからというもの含まれているように思える。その文脈でいうと、健康というのは、実はそこまで重要ではなく、重要なのは時間が増えるかどうかということになる。
限りある時間をまんべんなく使うには、自分の内面的性質を変容させる必要がある。なぜなら、テクニカルに時間を増やす方法がない、つまりは外的に時間を増やせないからだ。なので、外的要因に頼ることなく時間を有効活用するしか、時間を増やすことはできない。言葉のあやではあるが、ここでは実際に時間が増えているわけではないことが重要である。
そこで用いられるのが目的達成という考え方だ。何かしらの目的を立てそれにまい進する。それは確かに有効な方法かもしれない。しかし、この記事では目的を立てることのデメリットについて考えていきたい。
最も大きいデメリットは達成した後に燃え尽きてしまうことだ。これは燃え尽き症候群とどこか相通じるところがあるが、目的は達成さえしてしまえば何の価値もなくなる。かといって、またすぐに立てた目的にモチベーションを誘起させるのもそこまで得策とは言えない。例えば、10000ALISを稼いだとしても、20000ALIS稼ぐと簡単に言うことはできるが、果たしてそれは満足のある時間の使い方といえるだろうか?
現代社会は目まぐるしく映りゆく時代であり、自分の目標を立てることは確かにもっともだが、それ以上に社会や外部の変化が大きいのまた事実である。そんな場合、それらに目を向け学習する時間は、上記のような謎の20000ALIS稼ぐという目的を達成する取り組みをやっているほど暇ではない。
ではどのように対応すればいいのか。その答えはマイクロな目的を立てる能力を鍛えることにある。例えば、散歩がしたくなったから散歩をするとか、チェスで一勝したくなったからオンラインチェスをするなど、本当に簡単な目的を立てる。そして、その行為を短いスパンで多数回繰り返す。これにより、時間を無駄にしている感は少なくなる。なぜなら、小さな満足感を増やすことができれば、最終的に何かほかにやりたいことが見えてくる可能性が高まるからだ。
そしてもう一つ重要なのは、上記の取り組みによって大きな目的をなるべく作らないということだ。しかし、それでは何も人生で大きなことをなしえないのではないかと思うかもしれない。確かにその通りだが、今言っているのはあくまでも有意義な時間を作る方法であり、大器を錬成するすべではない。
とはいっても理想的には大きな目標を持ちつつ日々を充実して過ごすのが最高なのだが、そこまでうまくいかないこともあるのが人生であり、もしかしたらうまくいかないほうが上回っているかもしれない。
処方箋と言ったら都合がいいが、今すぐに思いつき、今すぐに実行できる何かのほうが、後になってから結果としてついてくることは間違いがない。例えば、ITエンジニアになりたかったら適当にIT企業に入るとか、コールセンターに入るとかで簡単にクリアできる目標をこなすことが重要ということだ。
東京大学に入ろうとして、いきなり東大のカリキュラムを組んでも挫折するように、最終的に「東大に受かる」という状態になっているくらいに軌道を曲げていく必要がある。しかしそれは安易に計画できるほどのものではなく、計画したとしても意味のない時間を過ごしたと、一概に無駄な学習というのはない前提ではあるが、本人にとってはそのように思えてしまう時間を生み出すだけになってしまう。
また、小さな目的を達成することはほかにもメリットがある。それはストレス継続時間の縮小だ。だれしも長時間ストレスの下にさらされるのは、大義名分やこだわり、そして何かしらくるっていなければすぐに逃げることになる。それは得てしてストレス継続時間は短いほうがいいということでもあり、小さな目的はそれを実現させやすくなる。
そして、小さな目的というのは達成という二文字を連想させないようなものが最適であり、何もしていない時間を減らす工作といってもいいだろう。
しかし、目的の大小にかかわらず、何らかのリスク要因にさらされることは変わりがない。行動量が目的を小さくすることで上がったとしても、それに伴って試行回数は増えるわけだから何かしら失敗を犯す確率も上がる。とはいっても、大きな目的をもって取り組んでいても、それ相応のダメージをどこかで受けることは変わらない。結果的に時間を無駄にしないというのは、自分中心的な考えでとらえてきた上文だからこそ、最終的にリスクについてはどちらも変わらず降り注ぐというデメリットもある。
とはいえ、そんな事件にさえ巻き込まれなければ最高とはいえる。