目的は大きければ大きいほど達成困難になり、解釈次第で達成したとみなしやすくなってしまう。例えば、「世界征服」をしたいと考えた場合、それはどの世界なのか、どのような世界なのかという問いが全くない。
世界がGTAVのようなゲーム世界でもいいわけだし、なんなら自分で作った小説世界でもいい。しかし、それが世界征服として成り立つかといわれれば、成り立つかもしれないがほかの人には自慢できないだろう。
一方で、目的が小さければ小さいほどいとも簡単に達成できてしまうため、すぐに他の目的を立てる必要がある。例えば、ペットボトルでお茶を飲むとか、排便をするなどという目的は非常に達成するのが簡単である。そのため、達成後にすぐに他の目的が入り込むことになる。
落合陽一氏によれば、世界で最も幸福なのは、物質的には恵まれていないが大きな目的を持ち、どこかの農村でひっそりと妄想をしている農民だという。つまり、成功として巨大なイメージを持ちつつ、それに向かって毎日前進していると思い込んでいる状態こそが幸福であり、それを実現したとたんにその妄想は全く面白みがなくなってしまうということだ。
これは上記に述べた目的の達成困難性に当てはめることができる。目的を持つためにはモチベーションを維持することが重要になってくるが、大きい目的であればあるほど、モチベーションを保つのは難しくなる。小さければ小さいほどモチベーションは維持しやすい。それは簡単にクリアできるからだ。しかし、どちらの場合がよりモチベーションを高くできるかは不明である。
大きい目的を持つことがよりよりモチベーションを持つことにつながるかもしれないが、それはすぐに現実という壁に希釈されてしまい、小さい目的を持った場合、どれほどモチベーションが濃厚であっても少量のため薄味になってしまう。
このどっちつかずのジレンマは、目的という一点において避けられない命題である。どうすれば人生の目的を最高のものにできるのかについては、ここには書くことはできない。それは少なくとも一生かけて毎日考え続けても出ないかもしれないくらいレアなものだからだ。