最近思ったことの一つは、安穏と過ごせる場所はないかもしれないということだ。だからこそ、人々は神話を作りヴァルハラやシャングリラのような桃源郷を生み出すのではないかと思ったりする。
その一つに真面目、ポライトネスなことがある。礼儀正しく生きることは一見美しくあり、メリットが多いように見えるが、ノアの箱舟にあるように、デメリットも内包している。
それはクリーンなイメージがついてしまうことだ。クリーンで健康なイメージというのは、一見いいように見える。現状、お金を持っていればいるほど評価されやすくなるし、長生きしやすくもなる。しかし、私はある時何事にもデメリットはあるのではないかと考えるようになった。それは、いままで物事のいい面だけを見るようにしてきたからかもしれない。
真面目というのは、そのイメージそのものがデメリットにもなる。不思議なことに、不真面目な奴が被る損害と同じ被害量を、真面目な奴は被る、このように考えている。
それはある意味で間違っているように聞こえるかもしれない。しかし、それも正しいだろう。真面目ではないことは決していいことではない。しかし、真面目なことは決して無罪と言う訳ではない。
不倫しないということが真面目なのだとしたら、それによって不倫できない、不倫した場合の炎上具合が半端なくなるというデメリットがある。しかし、元からチャラい人間は、不倫してもさしてたたかれないだろう。
これは一例だが、似たようなことはほかの現場でも見られる。プログラミングを一生懸命学んでおり、テストで満点を取り続けても、最終的に赤点まみれだったけどソフトウェアで食ってますという人のほうがプログラミングという点において評価されやすかったりする。
上記の例は、テストができることとソフトウェアを実際に開発したことの能力は異なるという反論ができるが、たとえエリート側がソフトウェア開発できたとしても、赤点からのストーリーに惹かれる人は少なくないだろう。
これは物事が段々的になしあがるものであるという前提がある場合に成り立つと考えられる。結婚も今までの積み上げがもとになるものであり、学業も資産も、積み上げが重要だからだ。積み上げが重要な事柄はすべからくほとんどいいことの裏にデメリットがあると考えなければならない。
そして、人間の体、そして人生もいわば積み上げであり、だからこそ森羅万象にメリットもデメリットもあると言わざるを得ないのである。