傲慢な詐欺に出遭い資産を減らしてしまう人は少なくはない。しかし、そんな詐欺をどのようにして避けるべきかはいまだにどこにも書いていない。
FTX創業者のサムバンクマンフリード氏は功利的利他主義を信仰していたことで知られており、その熱狂はまさに21世紀初頭を代表するかのようなものでもあった。ヴィーガンであり、慈善的であり、両親が法律の学位を持っていたり、アラメダリサーチのCEOもまた、両親が経済学の学位を持ち、彼らはそれぞれ物理学や数学といった学問を専攻していたり、まさしく現代的エリートと言う訳だった。
この事件は一説にはアメリカのシリコンバレーで起きたセラノスCEOが起こした例の事件よりもひどいともいわれている。今では、Lunaの暴落もある程度関与していたのではないか、とか終身刑の量刑が下されるのではないか、とか展開に終わりが見えてこないままでいる。
2022年はいろいろな事件が起きたが、暗号資産をめぐる詐欺事件や倒産は目を見張るほどに多く、実際景気が後退していることに気づけないほどにひどいものでもあった。
よく、下げ相場こそ参入の時期だとは言うが、やはりそこに張れる人間が一握りであることは最近の世相を見れば一瞬でわかる。そこまで盛り上がる要素がなくなった、これは暗号資産やNFT、メタバースに参加して間もない人ならばほとんどが思うはずである。
サムバンクマンフリード氏が信奉していた功利的利他主義は、そもそも大学時代に5歳年上の院生から垂れ流された思想だったらしく、その一方で功利的利他主義的思想は、現代の金儲けスタイルのほとんどの場所で見かけるように思える。つまりは、モチベーションを挙げる動機が、他人のモチベーションを上げることにつながっている、マルチ組織のようなものだ。
これは一見、次が見当たればうまくいくが、次が見当たらなければうまくいかないことになる。日本においてもアムウェイやERAなどのマルチ組織は似たような手法で売り上げを確保してきた。しかし、その内情はあたらしいカモを引き入れて金を稼ぐものであり、それでしかなかった。つまり、世間一般に何かをアピールして評価されているわけではなく、ピンポイントアピールを成功させる手法を磨いていたということだった。
問題は、それが持続可能ではないところだ。しかし、それらのマルチ勧誘はいまでも行われており、それはこれからも行われると思われる。先ほど、持続可能とはいったが、何事もある程度は持続不可能なほうが健全だとも思えたりする。それは、もしもサムバンクマンフリード氏やマルチ組織が持続可能だったら、ということだ。持続可能ではないことがあるというのは、ある意味で新しい何かを生み出せる可能性がある裏付けでもある。もしも持続可能ではないならば、その余地はない。
YoutubeやVoicyなどで信者を囲い込むモデルが一時期はやった。これは一つにサロンモデルとして知られているが、今ではそれも一枚岩ではなくなった。しかし、結局のところ、麻薬につけられたかのように新しいSBFを探してしまう癖があるのも厄介なことであり、これ以上SBFを見ても無視できる訓練をしなければならないのも事実だと思える。
そもそも、暗号資産は暗号資産とは言われていなかった。最初は仮想通貨といわれていたのだ。それはどこか仮想通貨、いや暗号資産自体を軽んじているかのような表現だが、実際どのような呼び名が正しいのかはわからない。クリプトかもしれないし、Web3かもしれない。しかし、呼び名がどう変われど、それは仮想通貨でもある。そして、それが功利的利他主義の連鎖のように「新しさという倒錯」が連鎖してしまわないようにとらえなければならない。これはここ半年の事件でいろいろと考えたことでもあった。
暗号資産とは聞こえがいいが、仮想通貨でも聞こえがいいものはいくらでもある。それはイーサリアムであり、コンセンサスアルゴリズムだったり、プルーフオブステークだったり、リクイディティだったりだ。物理学では、こういったわけもわからないカタカナ漢字単語が大量に出てくるため、それに相通じる暗号資産のワードセンスは一種の倒錯を起こす。
例えば、自発的対称性の破れや、不確定性原理、もしくは超弦理論のオービフォールド、あるいはヘテロティックストリングなどは、すべからくその単語だけでは何を言っているのかわからず、説明を聞いてもよくわからない。しかし、どことなく聞こえはかっこよく、不思議に思いをはせてしまう魅力がないでもない。それは別に物理学のワードではなくてもいい。まさしく、慈善的な風貌をしたヴィーガンの青年でもいいし、博学多才なキャリアウーマンでもいいのだ。重要なのは、そこにどことなく倒錯できる要素があるかどうか、それだけだ。
倒錯要素はなにも暗号資産だけにとどまらない。例えば、寿命が延びる健康商品やインスタグラムの投稿なんかもすべてある一定の倒錯要素がある。とはいっても、インスタの投稿まで倒錯といって警戒し始めたらきりがない。たしかにそれは事実で、些細なことまで気にしても逆に自分のチャンスを失うことになると思うかもしれない。しかし、ここで言っているのはその前提があるストーリーであり、何もキラキラしたところを見せびらかすのがあくどいことであるとは述べないことにする。
詐欺というのは非常にあいまいなもので、受け手によって移ろいゆくものだ。しかし、自分のものが突然なくなっていたら、あいまいさはどこかへ飛んでいく。そんなこんなでうろたえていても、詐欺というのはそういうものだとしか言えない。なぜなら、詐欺というのは前提があいまいだからだ。
どこまでが詐欺に当たるのか?そのはっきりとした線引きがあったら、そもそも詐欺は生じることが絶対にない。境界線があいまいだからこそ詐欺は生じるものであり、ある一定の詐欺リスクはすべての金融商品にあると言っても過言ではない。
ここで重要なのは、境界線がなく、あいまいだということだ。それはグラデーションのようなものでもない。まさに、詐欺と分かったときが詐欺、ということだけであり、そうでない場合は詐欺ではなく、公平な取引になる。このとんでもなく曖昧かつ、はっきりとした結果が詐欺というものを一層「やばくなさそうに」している根源であると考える。
暗号資産やWeb3においては、詐欺のようなものはいくらでもあるが、わかればそれは詐欺だったといくらでも反省ができる一方で、これから「よくわからないけど手を出してみた」というのはまだ詐欺が存在するか知らないわけで、まったくもって危機を感じる必要はない。
よく、わからないから踏み出さない、とか知らないものには手を出さないという考えを是とする人がいるが、それは是か非かは結果次第だというのが結論であり、結果以前ではいくらでも是でもあり非でもあると言える。最終的に是に是を繰り返した場所にSBFやキャロラインがいただけで、別段結果さえなければ、彼らが訴追される世界線はどこにもないはずである。
最初から安全だとは保障ができない暗号の世界や資本主義の世界において、どのように立ち振る舞っていけばいいのか、そのある程度の答えを2022年時点で考えたいと思う。
一つの解は、それらの結果が自分ではないものが起こしたと考える方法である。つまり、資本主義というゲームをプレイしている自分、というキャラクターが起こした詐欺、もしくは受けた詐欺ととらえることだ。まさしくリアリスティックマトリクスのような思考回路だが、それは一つに予測不可能であいまいな現代をわかりやすくとらえる一つの方法でもある。しかし、それには一つの問題がある。
それは、実際の感覚は上記のような仮想自分に当てはめられないということだ。例えば、資本主義をつかさどる現場で死に直面するような事態が起きた場合、それは一体全体資本主義というゲームが原因なのか、自分の行動が原因なのかということだ。つまり、仮想化しても結局はごまかしにすぎず、現実は現実で存在することに変わりはないため、結局悪い方向に流れる可能性もあるということだ。
そうすると、上記に述べた案は一過性のもので、非常に長期で考えるには値しないということになる。そして、最大のリスクは長期でそれを信奉した場合、そうでなかった時のショックが想像以上に大きくなることだ。いちいちそんな内面の波乱を体験しているほど人生は短くはないしつまらなくはない。
どのように向き合うべかの解が上記のようにあまりにあっさりと消滅してしまうと、対応策のなさに不安になるが、最終的には非常に大きなスケールでものを考える必要があるように思えてくる。
例えば、人類史は大体200万年程あるが、その単位で見るということである。5000年前に始まった農業革命や1万年前にパタゴニアに到達した人類移動、そして、定住化という本当にごく最近起きた生活様式の変化など、奥深い事実から結果の良しあしを矮小化する方法である。
それが本当に良い解決手段なのかはわからないが、近視眼的になっている現代には、超が付くほどの遠視思考で対抗するしかないように思える。