経済格差。これは人類の歴史に刻まれうる事実であり、解決の最も困難な事象でもあります。事実、格差は是正することはできますが、時間とともに再度広がってしまうのが現実です。
なぜ格差が生まれるのかについて、それは欲望のレベルに差が生まれるからだと思っています。例えば、家賃3万円の家で満足する人がいれば、そのレベルで満足できない人がいるのは事実であり、年収200万でも満足する人がいれば、1億でも不満そうな顔をする人もいます。
彼らの違いは年収ではなく、欲望のレベルです。そして、それは別段年収など分かりやすい数字にしなくても例えば給食の嗜好性だったり、潔癖かどうかなど些細な項目に分けたとしても変わりなく生まれてくるものです。
欲望のレベルが異なるとはいっても、単に強い弱いという話ではなく、様々なパラメーターで異なるわけであり、もはや同じ状態に居座っていられる欲望などはありはしません。しかし、大体の場合多くの欲望があるとはいえ10本の指に収まる程度にできてしまうのも事実です。
元に戻せないほどにまで乖離してしまった格差はどのようにして対処するべきなのか、結論としてはそれらの違いはそこまで大差ないものであり、どれもがある基準を取れば似たようなものであると考えを変えることでしょう。
ここで、ある基準とは何なのでしょうか。
例えば、年収というものを例にとった場合、100万円から1億円までの開きがあり、富んでもない差が生まれているとして彼らを年収以外の基準で見たときに大差がないものを選ぶということです。例えば、そこにいる彼らは年収では非常に開きがあったものの、性格面では大差がなかったのです。という具合にです。
ここで重要なのは、年収の開きをゼロにするようなダイレクトな手入れはいらないということであり、別の視点からその開きを解釈していくことが重要になります。
他にも、SNSのフォロワー数や、顔の良しあしなど多岐にわたる違い、差をピックアップして、それらを中立に受け入れる方法を探ります。
これからはどんどん差が開いていく、という言葉があるかもしれませんが、人間である以上人間という枠からは出ていくことはできず、その解釈はある意味で中立とも言えます。もちろん、遺伝子組み換え乳児が出てきたら、それまでの人間とは異なるという考えもできますが、ここで重要なのは違いを受け入れる方法を探ることであり、あたらしい中立に見れる基準ではありません。
その基準が受け入れることの一つの帰結というだけです。