調子に乗りたくはないが調子に乗ってしまう。そんなことはよくあることで、やってはいけないことほどやってしまうのが人間である。
人生においては特にレールとも呼ばれる標準的なモデルがあるがゆえに、なおさらそこから逸脱することが異端とされる、まさに中世の宗教とも似たような特徴を持っている。
さて、ここで宗教、ここではキリスト教を例に現代社会の宗教的儀式ともいうべき一連の人生レールについて考えたいところがある。
最近よく、こと令和時代が過去の「鎌倉時代」に酷似している部分があるということをよく耳にする。しかし、これは案外間違っているようには思えず、たしかに令和と平安末期から鎌倉の時代にはいろいろな面で共通項があることが否めない。
鎌倉時代は主にそれまでの京都平安時代から、朝廷と幕府が同時に存在する南北朝時代に突入するまでの間を指し、北条政子などによる承久の乱や征夷大将軍の確立による武士の誕生などが起こった。武士の台頭はその後も続くことになり最終的には600年程武士の時代が続いた。
武士時代が終わるや否や、日本は明治維新、二次大戦と入り現在に至っている。
一方で、鎌倉時代に近しい年代で起きた出来事が宗教改革である。これは主にドイツなどの地域を中心にルターやカルヴァンが登場し、これまでの宗教観を一変させる流れが起こった。
江戸の260年が続く一方で欧州では宗教からの脱却、葛藤が続いており、それ以降の世界の覇権は軒並み欧州諸国が握ることとなった。一方でアジアといえば中国王朝の建国の主が漢民族から北方民族にシフトしつつある中、ヌルハチが建国した大清帝国は当時のイギリスにアヘン漬けにされ、日本など多くのアジア各国を震撼させた。
イギリスから始まった産業革命は、一瞬で世界を包み込み乗りに乗っていた当時のヴィクトリア女王時代はまさに英国最盛期といえるものであった。
基本的に、そういう語り口でしか歴史を知らないのが何とも悲しいところだとも考えているが、それだけでも結構現実とは異なる認識やイメージを持っていたりする。
鎌倉時代の最も大きなイベントといえば、武士の登場かもしれないが同時に元の存在も大きい。元寇は明らかに非常事態であると同時に、つい最近まで続いていた帝国主義の源でもある。言い換えれば1300年前後において現代までつながるイデオロギーの一部がアジアから誕生していたということになる。それも、イギリスにヤク漬けにされたChinaからだ。
そして、何気に徳政令というもの大きいと考えている。日本において徳政令的なものが出たことは後にも先にもあの一度だけというレベルだろう。それほどに大きなインパクトは聞こえないが、その頻度から考えるとある程度のインパクトがあると考えざるを得ない。その理由としてはいろいろあるかもしれないが、基本的には当時の日本の情勢の不安定性と戦争の連続が原因だと考えている。
ということは、である。次のビッグムーブメントは何なのか、もはや考えるまでもないかもしれない。