サービスを展開するときに、そのサービスに問題がある場合次の二通りが考えられる。
・顧客が期待を膨らませすぎている
・運営が怠惰をむさぼっている
これはどちら側が悪いのかははっきりしない。もちろん、労働者側からすれば客というのはそれ以上もそれ以下もなく、ただ黙ってサービスを受けとけばいいだろうと思うかもしれない。最近ではYoutuberがアンチコメントに対して「ゴミを相手にする必要はない」という姿勢を明確にしてきている。しかしこれはコミュニティの活性化、そして保全を目的にしたものであり、排除という言葉を使って表現されるものではない。
確かに、期待を膨らませすぎていたり、迷惑な客は存在する価値はない。しかし、顧客側からすれば運営となるサービス提供者に対していいイメージを持っていないというのも確かである。
こういうと、少し疑問が生じる。それは、「顧客のほうが意味不明だ」ということである。結論的には、サービス提供者がどのようなサービスを提供していようが顧客がそれに対して文句をつけるというのは文句の幅が広すぎて対処しようがない。
例えば、サービスの質が低いなどすぐに解消できる問題ならばさほど迷惑な客というレッテルは張られにくい。しかし、その文句が「この店の雰囲気が気持ち悪い」とか「そもそもこの国でこんなことを…」などといった極めてマクロな要点とつなぎ合わせて繰り出してくる文句に関しては、サービス提供者からしてみたら「いや、無理だろ」とならざるを得ない。
なぜこのような現象が起きてしまうのか。それは当然のようにインターネットや交通手段が発達した現代だからだ。昨日行ったラーメン屋のサービスの質が、今日見た配信者のリテラシーに比肩するわけがないのだ。
では、この問題に対してはどのような解決策が有効なのだろうか。一つは、昨日行ったラーメン屋のサービスと同じクオリティの店やサービスを享受し続けることだ。しかし、それは他方で生じている配信者のリテラシーを観測しないままに時間が経て行くことを指し示しており、両者が交差した時に結局「顧客のほうが意味不明であり、運営のほうがゴミである問題」にぶち当たる。
そしてもう一つはラーメン屋と配信者という異なったリテラシーの持ち主のサービスを横断しつづける顧客が現れることであるが、そんな顧客はいるのだろうか?おそらくごく一部のお金を持った興味好奇心に満ち溢れた浪費家だけだろう。基本的にそんな人物がこの世にあふれかえることはほとんどないとみてもいい。
つまり、解決策はこれといったものはないということになる。そういうと、少し絶望めいた結論になるが、そもそもそれは考えるに値することなのかどうかというのが一つ考えられる。どういうことかといえば、もしもこの話題を「問題」として提起するものが要れば、それは永遠に問題となり頭を悩ませ続けるだろうということだ。
解決しない問題は時間が解決してくれるのを待つしかなく、あとはそれにコミットするかどうかを決めるだけであるということなのかもしれない。