天才、それはアインシュタインが最も似合うとされていますが、なぜでしょうか?それは思うに一般相対性理論とかいう、空想中の空想、机上の空論のようなややこしい妄想を書き上げたイメージがあるからではないでしょうか。
しかし、一般相対性理論は空想ではなく、アインシュタイン自身は現実的なものとしてとらえていました。事実ブラックホールは存在したわけです。
天才というと、〇〇の頭の中はどうなっているのだろうか?とか、想像力が豊かな人の印象を受けます。しかし、どれほど一生懸命想像しつくしても周りから天才といわれることはないでしょう。
天才といわれるのは、空想が激しい人ではなく、現実化している人のことです。誰が見てもわかる、というのは現実的な話であり、空想の世界の話ではありません。結構これは以外でもあり、確かに天才といわれる人々は、その頭がどうなっているかよりも現実的なことを重視する傾向にあります。
すると、こういう疑問が思い浮かぶでしょう。それは、現実化している時点で空想力もすごいのか、空想がすごいから現実化できたのか、ということです。
現代のビリオネアのほとんどは、空想力が激しかったからそこにいるわけではなく、現実的に何かをなしえたからという理由で社会的な地位を保っています。そもそも、お金自体が社会の存在を前提としたものであり、それは現実的な何かをなし得なければ流れてきません。
それを考えると先の疑問においてどちらがもっともらしいのかが分かります。そう、それは現実化している時点で空想力もすごい、というのがもっともらしいのです。
正直、空想がすごいから現実化できたというのは、あまり理解できない文章でもあります。空想力が優れていることをどのように判断するのかわからないからです。例えば、それはニューロダイバーシティなどで脳の神経ネットワークの動きが判明したらわかるかもしれませんが、基本的にはその人のアウトプットでしかその人の才能は判断できません。
なので、現実化しているからこそ、空想力がすごいといえるのです。
もっともいうと、この現実化志向はすべての天才に当てはまっており、現実的である、現実であることがなによりも重要になります。もしもそれが現実的でなければ、もしくは現実になければ、天才ではないでしょう。