※この記事には私見が含まれます。
ウクライナとロシアの戦いはSNSを介して大いに「盛り上がっている」ように見える。
しかし、ウクライナかロシアかという二項対立でとらえるのは一興かもしれないが不毛かもしれない。
今回は逆張りという言葉について考える。
先の例でいえば、ウクライナの逆張りはロシアになる。ウクライナを支持すればロシアは自動的に敵対者になる。しかしそれは本当だろうか?
ウクライナの敵がロシアだけではない可能性を考えると、「ロシアかウクライナか」とはとらえにくくなる。
ロシアの敵はウクライナだろうが、実際アメリカや西欧諸国もそれにあたる。しかし、ウクライナ側の敵はロシアだけ、とされていることが多い。これはウクライナの敵はロシアだけだから、すべからくしてロシアだけが悪いという評価になりそうだ。
しかし、あと十年後たった時、もしくは数年前に時を遡らせたとき、ウクライナの敵がロシアだけだったかというのを承認するのは難しいだろう。現に、ベラルーシはウクライナの味方とは言いにくい。
地球の裏側という言葉がある。では、地球の裏側とはどこだろうか?とある人は、今立っている地面を掘り進んでマントルを超えて、また地上に出たところ、を指すかもしれない。またある人は、太陽の地球のある位置の反対側の場所を指すかもしれない。またある人は、銀河系の地球のある、もしくは太陽系のある位置の反対側の場所を指すかもしれない。
またある人は、場所を指定しないかもしれない。
この場合、地球の裏側という言葉には「何に対してか」という前文が抜けている。この時点でそれを考えるうえで様々な選択ができることになる。そして、この「地球の裏側」という言葉にはもう一つの重大な欠点がある。
それは「地球の裏側」というのが単語にも見えるし、イデオロギーにも見えるし、合言葉にも見えることだ。つまり、それは本当に「地球の裏側」を言えと言っているのか?と、思ってしまうのである。
SNSではロシアとウクライナに関して、乃至はマスクをつけるかつけないか、ワクチンを打つか打たないか、いろいろとあるものの、それがポエムなのか戦争なのか、絵画なのかワンダーランドなのか、大問題なのかは全く持って理解はできない。