相分離生物学, 2019/8/2, 白木 賢太郎, 東京化学同人
細胞内には液ー液相分離して形成された液滴があり,転写や翻訳やシグナル伝達の制御,環境ストレスへの応答やアミロイドの形成など,さまざまな生命現象と密接にかかわっているという発見が相次いでいる.本書は,細胞内の液ー液相分離の成果を整理し,細胞生物学と分子生物学の間の「相分離生物学」という新しい学問分野を紹介する.
分子生物学の基礎を学んでいればあまりつまずくことなく読めると思われる。
この本では何か講義をする前に基本的な情報の整理から始まるため、その基礎知識を思い出すきっかけにもなる。
ほとんどの話題に対して図や絵が用意されているため、内容を頭で図式化する必要がなく、理解の助けになっている。
生物学的相分離は最近より注目されている内容である。
細胞内にある何万種類もの生体内分子がどのように適当な分子同士で出会い、反応するのかという疑問があった。
DNAが格納されている核、酸素をエネルギーに変換するミトコンドリア、その他オルガネラ(細胞小器官)など脂質二重膜で仕切られた空間であれば、いくつもの分子が存在して雑多な細胞内でも適当な反応が行えると想像できる。
しかし細胞内は脂質二重膜のオルガネラだらけではなく、まさしく雑多な(分子クラウディングな)細胞質基質でもタンパクの合成や糖代謝といった反応は起こっているのだ。
その答えとして提唱されたのがドロプレット(droplet, 液滴)とも呼ばれる液-液相分離で生じた相である。
簡単に言うと反応性のなくなる凝集や脂質二重膜で形成されるオルガネラとは異なり、特定の性質を持った分子がお互いに集合しやすく(液内の液滴に溶けやすく)なり、特定の分子(団)が濃い相と薄い相が形成されるということである。(少数派の相は表面張力の安定化によって球状, 滴状になる。)
このドロプレットは温度やイオン(pH), 電荷によって簡単に形成↔崩壊が可能である点が特徴的で興味深い。
タンパク質やRNA, DNAといった生体内分子の化学修飾や一部の構造の役割は、分子生物学や生化学の教科書においても「まだよく分かっていない点も多い」と紹介されてきた。
というのも分子の構造と役割に注目してみた場合では、構造の安定化や特定の化学修飾を標的とした酵素の誘導程度の役割しか見いだせなかった。
しかしこの本において、生体分子の化学修飾は相分離のコントロールという役割で説明を得た。化学修飾でドロプレット形成↔崩壊させることで効率よく細胞内の反応を組み換えることができる。
これによって、生体内反応の神秘の解明は分子構造だけで読み解こうとして限界があったが、相という状態にも注目することで解明が進み、応用ができる道筋が示された。
またこの考え方はこれまでの分子構造に注目してきた知見を無駄にすることなく、むしろ分子構造に注目していたときの不具合(ドロプレット形成は分子構造の解明において邪魔であった)に着目することで正確な細胞内の状態を理解できることが示された。
ドロプレットを形成しているということは、ここでは「濃いドロプレットの形成」とするが、水分子を排出・押し退けて他の分子同士が会合するということか。
ということはドロプレット内では、水分子の排出によるエントロピーの増大が起きる。つまりエントロピー駆動での形成である。
この駆動力を測定・分析することで濃いドロプレットや薄いドロプレットの形成を観察し、どの化学修飾・分子構造や溶質中イオンがどのようなドロプレット形成になるのか予想できないだろうか。
ただこの本はこのようなタンパク質構造の作成には限界を示しており、ランダム変異と選抜によるタンパク質の指向性進化や物理学的に一から構造を計算するde novoデザインを紹介している。
タンパク質の指向性進化をin vitroではなくin silicoでシミュレーションするのとde novoで作り上げるのとではどちらがコスパがいいのか気になった。
これは本には記されていなかったが、新しく作ったタンパク質の特許であったり技術的な価値はどのように還元されるのだろうか。
de novoデザインにおいては初期は分散コンピューティングによって足りないマシンパワーを補っていた。
タンパク質の構造解析においてはFolditと呼ばれるゲームがクラウドソーシングかつ分散コンピューティングの手法として知られている。
現在、ブロックチェーンを使ったプロジェクトは、自身のDNA情報の個人化のみであり、タンパク質の構造解析や構造予測を利用したプロジェクトはない。
ブロックチェーンのマイニングパワーをAI予測に利用する例としてMatrixというプロジェクトが存在する。
Matrixプロジェクトに乗っかったÐappsとしてタンパク質の構造予測であったり、in silicoでの指向性進化を行ってみるというのはどうだろうか、と思った(AIによる構造予測を分散コンピューティング, ブロックチェーンを利用して行うのは以前から言っているが、in silicoでの指向性進化予測なんていうのもありかもしれないと今回思った)(Matrixとかブロックチェーンとかよくわかんない)。
相分離生物学はまだ台頭したばかりの理論なので相分離生物学的な視点(いわゆる相分離メガネ)をこれまで解明されてきた生物学的な発見に対して応用する実験や、「よくわかっていない」とされてきた現象に対して応用することで再発見や新発見があるだろうとこの本は締めている。
サムネ
体育座りで本を読むポーズとシャボン玉塗り