大きな悩み事がある際に、私は大学時代の恩師に電話をすることがある
「あなたに関しては危ういと思ったことは無い、私が大丈夫(危うくない)と思った子で大丈夫じゃなかった子はいないから」
「やりたいことが見つかってそれをやっていれば十分社会貢献になる、(文章を書いて投稿をしている)今だって十分社会貢献だよ」
自分の体調が悪化したことを内定先に正直に伝え、内定が取り消されたことを話した時も
「大学時代は周りの人に『できない』が言えなかったから苦しんだけど、今回はダメになる前に(ダメになったことを)話せたからそれは進歩だと思う
出来なかったことが出来るようになってきた」
「今は小さな雪だるまかもしれないけど、コロコロ転がしていくうちに大きくなっていくよ
ゆるゆるの雪だるまはすぐ溶ける、硬い雪だるまを作るんだよ」
このように、大概は前向きなことを仰るが、その言葉は上辺だけの所謂綺麗事でなく、本当に芯が通った言葉のように私は感じる
恩師の前向きで芯の通った人柄や、今までたくさんの学生を見てきた人生経験からその言葉の説得力がより増しているのだと思うが、それにしても言葉の力は偉大だと改めて感じた
大袈裟な言い方かもしれないが、良くも悪くも言葉は人(自分も他人も含む)の人生を左右するものだと思う
昨日投稿した記事の最後の方に書いた、恩師や親友からの言葉のように、私は周りの誰かの言葉に励まされ、元気づけられる、勇気づけられることがある
逆に、私の言葉が誰かを傷つけているようなことだってあったと思う
このALISで文章を書き始めた当初は、ただの自己満足がほとんどで、少しくらいは見て共感してくれる人がいたら良いな、という程度に思っていた
今も自己満足ではあるし、共感してくれる人がいたら良いなとも思っているけれど、先程も述べたような言葉の力で誰かに勇気を与えたり、励ますことができたら良いなという思いが文章を書くうちに強くなってきた
辛い時、自分が過去に書いた文章を読み、その文章中の言葉に励まされることもある
このように、言葉の力で過去の自分が今の自分を励ましてくれることもある
これからの人生、私は良い意味で言葉の力で自分自身や周りを励まし、自分自身や周りに元気や勇気を与えるようなことができたら良いなと思っている
言霊を割と信じる方で、発言が思考を左右し、思考が行動を左右すると思っているので、普段の生活の中でもなるべく前向きな発言をするように心がけている
確かマザーテレサも同じようなことを言っていたような…
そうは言っても、どうしても辛くてそれが出来ない時もある
そんな時にまた、過去に書いた自分の文章や周りの人から掛けられた励ましの言葉を思い出して、言葉の力を頂いて、また前を向いていきたい