NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が盛り上がっています。ドラマの盛り上がりとは別に肝心の鎌倉殿の13人自体はパッとしません。『鎌倉殿の13人』では派閥力学で13人に膨れ上がりました。鎌倉殿の13人が源頼家の時の十三人の合議制を指していることは明白ですが、この合議制は成果を上げずに終わってしまいました。
鎌倉幕府の合議制は執権北条泰時が嘉禄元年(1225年)に評定衆を設置することで確立しました。設置時の評定衆は11人です。評定衆は執権が主宰しました。
この時代の執権は鎌倉幕府の歴代執権一覧では泰時になります。しかし、この時代の執権は実は二人体制で、北条時房がもう一人の執権でした。二人の執権のため、両執権と呼ばれました。勿論、両執権と言っても正副の関係があり、泰時が正、時房が副です。副の執権は後の時代には連署と呼ばれます。
評定衆と二人の執権を合わせると丁度13人になります。鎌倉殿の13人は評定衆で結実したと言ってよいものです。合議制は独裁制よりも評価されることが多いです。しかし、ただ集まって話し合えばよいというものではありません。実際、『鎌倉殿の13人』の十三人の合議制では北条時政や比企能員が各々の贔屓する人を有利にしようと対立し、まとまりませんでした。
北条泰時は、この問題に解決策を出しました。貞永元年(1232年)に御成敗式目(貞永式目)を制定しました。これを判断の基準にすることで合議制をまとめました。こうして見ると評定衆と御成敗式目がドラマの最後に相応しいと思います。
泰時はブラックになった義時への批判精神を持っています。ドラマの前半では義時がブラックな頼朝を批判する立場でしたが、義時は頼朝に振り回され、流されていました。義時に比べると泰時は真っ直ぐです。『イノセンス冤罪弁護士』で冤罪を追及した坂口健太郎さんらしさがあります。
『鎌倉殿の13人』は義時が主人公です。義時を主人公とすると承久の乱で終わることが自然です。しかし、義時の後妻の伊賀の方(のえ)が裏表のある野心家ぶりを発揮しており、義時死後の伊賀氏の変を描くことへの期待が高まります。そうなると評定衆と御成敗式目で幕を閉じる可能性が出てきます。
NHK大河ドラマでは1979年に同じ時代を扱った『草燃ゆる』を放送しています。『草燃ゆる』は承久の乱が最終回ですが、畠山重忠の乱は10月21日放送の第42回「畠山討伐」でした。『鎌倉殿の13人』では9月18日放送の第36回「武士の鑑」であり、『鎌倉殿の13人』が1か月先行しています。この点では承久の乱の後も続きそうです。
一方で梶原景時の変は『草燃ゆる』が9月2日放送の第35回「梶原景時の滅亡」、『鎌倉殿の13人』が7月24日放送の第28回「名刀の主」です。この時点では『鎌倉殿の13人』が2か月先行していました。『鎌倉殿の13人』は頼朝没後の御家人間の争いを丁寧に描いており、追いついてしまうかもしれません。10月9日は本編を休止するなど放送回数も48話と少ないです。
『鎌倉殿の13人』第33回「修善寺」承久の乱につながる対立軸
『鎌倉殿の13人』第34回「理想の結婚」伊賀の方は悪役令嬢
『鎌倉殿の13人』第35回「苦い盃」畠山重忠の冤罪
『鎌倉殿の13人』第36回「武士の鑑」冤罪の追及にも陰謀が必要
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