NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は2022年11月6日に第42回「夢のゆくえ」で大船建造を描きました。大船建造は自身が宋に行くためとされ、実朝の現実逃避の施策と語られがちです。ドラマでも前世や夢という、あやふやな話が出発点となりましたが、宋との貿易を目指すという政治経済上の意味のある目的を提示しました。
さらに聖徳太子の遣隋使の例も出されます。吾妻鏡には実朝が承元四年(一二一〇年)一〇月一五日に聖徳太子の十七条の憲法を調査させ、大江広元に調査結果を報告したと記録されています。後に北条泰時は御成敗式目を定めますが、それは十七条の憲法を参考にしたものです。御成敗式目は全五十一条であり、一七の三倍です。御成敗式目は泰時の成果ですが、泰時が実朝から学んだ結果かもしれません。
実朝は自身が宋に行く希望も語りました。父親の頼朝も第25回「天が望んだ男」で、船で唐の国に行きたいと発言していました。似た者親子と言えます。似た者親子と言えば、頼朝は後白河法皇、実朝は後鳥羽上皇の生き霊が夢枕に立ちました。
義時は上皇を後ろ盾にすることは頼朝の始めた鎌倉殿のあり方と異なると主張しますが、頼朝も朝廷の経緯を利用して御家人達の上に君臨しました。実朝と頼朝の路線は異なりません。鎌倉殿の在り方として朝廷から独立した東国武家政権という思想もありますが、その立場の上総広常は頼朝から誅殺されました。今の義時も主君を蔑ろにする専横として誅殺の対象になっても不思議ではありません。
建造した大船は浮かびませんでした。太宰治『右大臣実朝』では陳和卿が詐欺師であり、実朝はだまされた形です。これに対してドラマでは北条時房が怪しい動きをします。往々にして時房のような人のよさそうな顔をした人物が悪辣なことを平然と行います。八田知家らの苦労を思うと時房の顔が「腹の立つ顔」になります。
ドラマでは実朝が大船建造に至る過程も朝廷の企みと示唆されます。その目的は大船建造を成功させて実朝の権威を高めることで、まともな計画です。実朝は後鳥羽上皇を後ろ盾にし、後鳥羽上皇は実朝の求心力が高まるようにするという相互関係があります。
朝廷側は後鳥羽上皇と乳母の藤原兼子、慈円が陰謀三兄弟のような立ち位置でした。しかし、今回は兼子が後鳥羽上皇に上皇が北条氏を気にし過ぎていると指摘しました。朝廷から見れば義時はごみ虫程度の存在と言いました。
これに対して慈円は「人が最も恐れるものは最も己に似た者」と言いました。これは後鳥羽上皇もごみ虫程度の義時と近いと言っていることになり、大胆な発言です。三種の神器なしで即位した後鳥羽上皇は正当な権力者ではない義時と近いという皮肉にも聞こえます。
朝廷側は義時への敵意が強い後鳥羽上皇と、それについていけない兼子と慈円の温度差が出てきました。後に兼子は北条政子と会談するなど朝幕の融和路線を進め、承久の乱直前では対決路線に進む後鳥羽上皇から遠ざけられました。
慈円は武士の世になっているとの歴史認識を有しており、承久の乱では後鳥羽上皇の挙兵を諫める立場でした。歴史書『愚管抄』は後鳥羽上皇を諫めるために書かれたとされます。承久の乱に向けて朝廷側の動きにも注目します。
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