NHK大河ドラマ『麒麟がくる』は2020年10月25日、第二十九回「摂津晴門の計略」を放送しました。これまで『麒麟がくる』は権威に胡座をかき、関所などで民衆を苦しめる旧勢力を批判する視点を出しており、改革者光秀という新しい視点を期待していましたが、勤王家光秀になる可能性も出て来ました。
織田信長は足利義昭のために二条城を建設します。明智光秀にとって二条城は本能寺の変で攻め落とすことになる因縁のある城です。
歴史を知る者としては織田信長と足利義昭がどのような理由で仲違いするかが気になります。ドラマでは未だ二人の感情的対立は描かれません。代わりに摂津晴門を中心とする室町幕府官僚機構の腐敗が描かれます。後に信長が義昭を追放し、これが一般的には室町幕府の滅亡となりますが、義昭個人ではなく、室町幕府の官僚機構が問題と描かれるかもしれません。
摂津晴門は裁判を公正に進めるつもりがないことを明言します。最初の本格的武家政権である鎌倉幕府が支持されたことは、比較的公正な裁判が行われたことにあります。摂津晴門のような姿勢は自らの存在意義を否定するもので、室町幕府の滅亡は当然です。利権と保身ばかりの悪しき公務員体質です。
一方で今回は光秀に天皇の権威を気付かせる話になりましたが、これはどうでしょうか。登場人物から幕府が朝廷の苦境を見て見ぬふりすると批判されますが、幕府は武士が朝廷の支配から独立するために作ったものです。幕府が朝廷を助けることが当然という感覚は昭和の勤王史観に染まっているのではないでしょうか。
天皇個人が人間的に尊敬に値する人物と描かれることも大河ドラマのステレオタイプです。歴史ドラマでは公家はどうしようもない存在に描かれることが多いのに、彼らに取り巻かれている天皇だけが人格者になることは不思議です。俗物の天皇を描けるようになって初めて菊タブーから自由になったと言えるかもしれません。
光秀は荘園押領の濡れ衣を着せられました。ここは『半沢直樹』的な展開になりました。現代ビジネスドラマ風に「おうりょう」を横領に変換した視聴者もいたかもしれません。押領は他人の所領や年貢などを侵奪する行為です。
押領の濡れ衣は光秀を旧勢力尊重の勤皇家に無理やり描きたいのではないかと感じます。光秀は門跡寺院の所領を押領しています(橋場日月『明智光秀 残虐と謀略 一級史料で読み解く』祥伝社、2018年)。信長が元亀3年(1572年)に義昭に出した十七箇条意見書でも、明智光秀が徴収した金銀を義昭が延暦寺のものとの理由で差し押さえたと書かれています。信長は差し押さえを批判する立場ですが、旧勢力から見れば押領と批判できるでしょう。
歴史上の人物を主人公として描き、その人物の負の業績をどのように描くかは一つの課題です。善人として描きたい場合に負の業績を全く描かなかったり、他人の行為にしてしまったりすることがあります。しかし、改革者光秀とするならば、押領批判は旧勢力の利権要求と描くこともできたのではないでしょうか。
次回は久しぶりに帰蝶が登場します。帰蝶役は麻薬取締法違反の沢尻エリカさんに代わって川口春奈さんが急遽代役になりましたが、見事に演じており、交代して良かったと思えるほどでした。「帰蝶がくる」にも注目です。
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