NHK大河ドラマ『光る君へ』第四回「五節の舞姫」が2024年1月27日に放送されました。第三回「謎の男」の最後に謎の男・直秀の正体が判明しました。まひろは冤罪を作ったことを謝れと詰め寄ります。まひろの感覚は健全ですが、まひろの虚偽証言が冤罪を作った原因であり、まひろにも責任の一端があります。
直秀は「放免に追われる人が犯罪者なのか」と言います。この時代は貴族が人々から富を収奪しており、それを奪い返すことが正当という感覚があるかもしれません。まひろも母が殺されても権力の横暴によって泣き寝入りを余儀なくされました。まひろと直秀は通じ合うところがあるかもしれません。
散楽は朝廷の状況を低俗な形で風刺します。全体主義国家ならば弾圧されそうな内容ですが、表現の自由は尊重されているようです。「右大臣家の横暴は、内裏の中だけにしろ」と言うと「そういうことは散楽の中だけで言え」と言い返されます。散楽では風刺しても良いことになっているようです。この点は2025年の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~』のテーマになるでしょう。
円融天皇が退位し、花山天皇が即位します。花山天皇はお気に入りで固めた「お友達政治」を進めようとします。やはり暗君でしょうか。だまされて退位させられた人物として花山天皇に同情心を持っていましたが、『光る君へ』では早く退位させたい人物と思うかもしれません。
花山天皇は思い通りにならないと廷臣に乱暴し、烏帽子をとってしまいます。当時の人にとって烏帽子をとられることは裸にされるような恥辱でした。実際、絵巻物には服を着ていなくても烏帽子を着けている人物が描かれています。後に源頼朝は亀の前事件で亀の前の家を破壊した牧宗親の烏帽子をとって髻(もとどり)を切りました。これは『鎌倉殿の13人』で描かれました。
日本史では国司の苛政を訴える史料として尾張国郡司百姓等解文が有名です。尾張守の藤原元命(ふじわらのもとなが)の重税や詐欺(虚偽説明による税の徴収など)、貧民救済資金横領などを告発しました。この元命は花山天皇の側近の藤原惟成と親族関係にあり、花山天皇によって尾張守に任命された人物です。
花山天皇は物価統制令を出します。藤原兼家は物価に政府が介入すると逆におかしくなると批判します。市場経済の均衡価格に沿った主張です。但し、均衡価格は売り手と買い手による自由な競争が十分に行われている市場という前提下で成り立ちます。
情報の非対称性があり、不利益事実の不告知が横行するようなレモン市場では成り立ちません。もっと卑近な例では新型コロナウイルスのパンデミック下で転売屋にマスクが買い占められるような状態ならば規制が必要です。花山天皇と兼家のどちらを支持できるかは一概には言えません。花山天皇は凶作に対応して飽食をなくし、倹約するという評価できる政策も出しています。
兼家と道兼は円融天皇に毒を盛り、体調を悪くして退位させました。退位後の円融上皇は陰謀に気づいており、詮子に辛くあたります。詮子は毒を盛るという卑怯な陰謀に関与していませんが、円融上皇から見れば兼家一家の陰謀となり、詮子の顔も見たくないとなるでしょう。
詮子は兼家に詰め寄りますが、兼家は誤魔化します。長男の道隆は陰謀に関わっていませんでしたが、真相を知って兼家の側に立ちます。後に詮子は家族の中で道長ばかりを贔屓し、それが道長の栄達の原動力になりました。これは伊周や定子、清少納言サイドには理不尽と言えるくらいの依怙贔屓でしたが、『光る君へ』では道長を応援することが自然な流れになりそうです。
倫子のサロンでは『竹取物語』が議論されます。まひろは身分を軽視する発言をして、倫子にたしなめられます。まひろは父親を嫌いますが、正論を唱えて浮いてしまう点では似た者親子と言えるでしょう。
まひろは三郎の正体を知ってしまいます。三郎は自分の正体を打ち明けようとしましたが、藤原宣孝に邪魔されました。三郎は自分で正体を説明するよりも、悪い形で知られてしまいました。
良いところで邪魔が入る点は、すれ違いの少女漫画や韓国ドラマを彷彿とさせます。まひろと三郎の視点では宣孝は邪魔者です。過去回では当時の常識を説くだけの、まひろの壁になりそうな人物との印象を受けました。しかし、今回は父親に間者働きをさせられているという悩みに向き合い、「人だから」という含蓄のある発言をします。宣孝という人物に関心を抱かせます。
『光る君へ』第三回「謎の男」冤罪を作る主人公
『光る君へ』第二回めぐりあいとすれ違い
NHK大河ドラマ『光る君へ』住まいの貧困と権力の横暴
光る君へと鎌倉殿の間の川越八幡宮