NHK大河ドラマ『光る君へ』第五回「告白」が2024年2月4日に放送されました。まひろは三郎が藤原道長で、母を殺した道兼の弟と知り、倒れてしまいます。このような時は、ゆっくり休むのが健康に一番ですが、加持祈祷されたら五月蝿くて休めません。冷水をぶっかけるなど間違った治療法で逆に命を縮めた人々が、この時代は多かったでしょう。
一方で昔の知恵も侮れないところはあります。疫病が流行した時には門戸を閉ざして家に籠る人々が増えました(北村優季『平安京の災害史』吉川弘文館、2012年)。ほとんどが家に籠り、朝廷に出仕し亡くなったとの記録もあります。
医学知識もウイルスの認識もなく、疫病を百鬼夜行のように捉えて恐れていただけでしたでしょうが、ソーシャルディスタンスという正しい感染症対策になりました。忘年会や学校行事を強行してクラスターを発生させる現代人の方が無謀です。
まひろが五節の舞姫で倒れたことはゴシップになりました。身分の低い娘が無理したと悪く言う人も出てきます。これに対して源倫子は、まひろを舞姫にしたのは当家の判断と述べます。その上で「まひろさんが戻ってきたら、優しく接してあげてくださいね」と言います。押し付けっぱなしではなく、責任ある態度です。
倫子は性格の良い人なのか悪い人なのか議論があります。第三回「謎の男」では、まひろが偏継(へんつぎ)と呼ばれる漢字を当てるカードゲームで圧勝しました。倫子は「すごーい。まひろさんは漢字がお得意なのね」と称賛します。これが素直な称賛なのか、「少しは空気を読みなさい」という嫌味なのか微妙です。
第四回「五節の舞姫」では、まひろの身分を否定する発言に対して「私の父が左大臣で身分が高いことをお忘れかしら」とたしなめました。これもガツンと批判したのか、他の人にボロクソに批判される前に自分がたしなめることで炎上を抑えた配慮なのか両説が成り立ちます。今回の舞姫にした責任を自覚する姿勢からは良い人に一票を投じます。
源頼朝や足利尊氏、豊臣秀吉ら日本の歴史を動かした天下人にとって妻の存在は大きなものでした。妻の存在なくして人物を語ることはできません。藤原道長も、やはり妻が大きな存在でした。『光る君へ』の前評判には紫式部と藤原道長の恋物語というものがありましたが、そうならば噴飯物と言いたくなるほど道長の妻の存在は大きなものでした。
相対的に妻の存在が小さい天下人は織田信長や徳川家康です。それでも大河ドラマでは『麒麟がくる』の帰蝶や『どうする家康』の瀬名のようにクローズアップされます。『光る君』の倫子の描かれ方にも注目です。ドラマは、まひろと道長、まひろと倫子の関係から始まっています。まひろと倫子と道長がどのような関係性になるのか予想できない巧みな展開です。
藤原詮子は帝に毒を盛った兼家やそれを諫めない道隆に怒りを抱きます。毒を盛るという卑怯な手段を許さない詮子の倫理観は健全です。大河ドラマ『北条時宗』原作小説には以下の台詞があります。
「毒を用いてなんの武者にござるか」(高橋克彦『時宗 巻の壱 乱星』日本放送出版協会、2000年、76頁)
「毒を用いるような者にこの国を預けるわけには参りませぬ」(同96頁)
詮子は道隆に「裏の手があります」と言います。道長を土御門殿の婿とし、兼家・道隆の東三条殿の対抗勢力にすることが詮子の作戦でしょうか。
道長が母の仇の弟だったという衝撃の事実は、二人のすれ違いを生む要素です。しかし、道長は、まひろの怒りを素直に受け止めました。父親が事件自体を隠蔽したため、まひろは自分を責める言葉を口にすることもできませんでした。自分を責める言葉を吐き出すことも意味があります。
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NHK大河ドラマ『光る君へ』住まいの貧困と権力の横暴
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