NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は2022年11月20日に第44回「審判の日」で右大臣拝賀の儀を描きました。畠山重忠の乱や牧氏事件、和田合戦は二週に渡って放送しました。源実朝暗殺事件は三週に渡る放送となり、引っ張ります。公暁は髪が伸びています。「成長著しい金剛」にならえば、髪の成長著しい公暁です。
『鎌倉殿の13人』では実朝暗殺は青天の霹靂ではなく、多くの人が危険視しています。実朝だけが無自覚で無防備です。それは実朝が能天気な訳ではなく、源頼家の謀殺の真相を知らなかったためです。真相を知った実朝は公暁と話をします。源頼朝の息子とは思えない誠実さです。
しかし、実朝が公暁に「あなたの気持ちは分かる」と言ったことは失敗です。このようなことを言う人は多いですが、その場しのぎの誤魔化しです。「気持ちは分かる」と言うだけでは何の具体策も提示していません。相手に我慢させるだけの卑怯な論理になります。公暁を翻意させるためには還俗を認めて複数の知行国を与えるくらいしないと駄目でしょう。
実朝は公暁を鶴岡八幡宮の別当にすることで報いているつもりです。ここが公暁とのギャップになります。鶴岡八幡宮の別当は鎌倉宗教界のトップであり、人が羨む高い地位です。しかし、出家者は世を捨てる人という建前です。公暁の出家は頼家の後継者という公暁の存在を社会的に抹殺する意味があります。出家の状態をそのままにしながら、「あなたの気持ちは分かる」発言で収めようとすることは無理があります。
実朝は将来的には幕府を京に移すという仰天構想を話します。実朝の構想は平氏政権の轍を踏まない東国に自立した武家政権という伝統的な鎌倉幕府イメージと逸脱するものです。吾妻鏡流の歴史観では朝廷かぶれと批判できます。これに対して近時の歴史学では鎌倉幕府を朝廷の侍大将・軍事権門と見る視点が有力になっています。朝廷において軍事を司る摂関家級の家格として栄えることを目指すことは将軍家の視点として変ではありません。
しかし、それでは御家人は将軍家に奉仕するだけの侍のままかもしれません。『承久記』の北条政子の承久の乱での演説では、頼朝以前の武士達は雨が降っても日が照っても、清涼殿の前庭に皮を敷いて内裏の警護役を務めていたと語ります。将軍家が朝廷で贅沢するために御家人が存在している訳ではないと言いたくなるかもしれません。
義時の立場は北条を頂点とする北条氏の独善があるため、素直に感情移入できないものの、実朝の構想は坂東武士のための鎌倉幕府になるかという問題を抱えています。
源仲章は歴史知識では源実朝と一緒に殺害される人という程度の印象しかありませんでしたが、『鎌倉殿の13人』では執権北条義時に取って代わる野心を見せます。北条氏による頼家謀殺の真相を暴いて糾弾しようとします。仲章は自分が執権になることは「血で汚れた者よりよっぽどふさわしい」と言います。しかし、仲章も北条政範毒殺を平賀朝雅に教唆しており、血で汚れています。政範毒殺は畠山重忠の冤罪に繋がりました。
朝雅は仲章に教唆されたものですが、政範を毒殺して政範に取って代わる野心を示しました。ところが、牧氏事件で時政と牧の方から将軍に担がれそうになると逃げ腰でした。時政と牧の方の陰謀の巻き添えで殺されただけという感じでした。朝廷側の人々は、この種の軟弱さがステレオタイプになっています。これに対して仲章は刺客を捕らえており、胆力もあります。仲章は簡単に殺される存在ではなさそうです。
義時は「ここからは修羅の道だ」と発言します。ここからは実朝と仲章を義時が殺して、罪を公暁になすりつけるブラック主人公展開を予想しました。殺すのは公暁、自分は仲章に無理やり御剣役を交代させられて無事であったとなると自分は何もしていないことになります。
義時は大河ドラマに珍しいブラックな主人公と揶揄されますが、そこには主人公を美化せずに描く脚本への称賛が込められています。ブラックと批判しながらブラックさを見たいというアンビバレントな気持ちがあります。
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