NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は2022年11月27日に第45回「八幡宮の階段」で源実朝暗殺事件を描きました。源実朝暗殺は有名な悲劇ですが、『鎌倉殿の13人』は源仲章にも注目させます。「寒いんだよお」と思うならば儀式に出しゃばらず、まったりとステイホームすれば良いでしょう。
仲章は太刀持ちの交代を鎌倉殿(源実朝)の命令とします。仲章は実朝が新たに任命した政所別当です。実朝のブレーンになります。実朝が北条義時の専横を抑えて自分の政治を実現するためには、義時から仲章に権限をシフトさせることは正しい方策です。
一方でドラマの仲章は畠山重忠の冤罪の原因になった北条政範毒殺教唆などの陰謀家です。本当に実朝の命令があったのか怪しいですが、『愚管抄』には実朝が義時に「中門にとどまれ」と指示したとあります。
『鎌倉殿の13人』第35回「苦い盃」畠山重忠の冤罪
公暁は最初に義時(と思った人)を狙いました。公暁は『愚管抄』では「親の敵はかく討つぞ」と言ったとされます。父親の仇ならば実朝よりも義時が正解と言えます。
公暁は政子に暗殺者の自分が鎌倉殿になれると本気で思っていた訳ではないと語ります。頼家の子であることを示したかったと言います。実朝の「気持ちはわかる」発言が惜しまれます。出家を強要されて社会的に存在しないものとされた人間の気持ちを理解しようとしないから、「気持ちはわかる」と言ってしまいます。鶴岡八幡宮別当は鎌倉宗教界最高のポストですが、公暁にとっては的外れです。還俗として武士として生きることが公暁の求めていたものでしょう。
『鎌倉殿の13人』第44回「審判の日」気持ちは分かるは逆効果
陰謀家と言えば何と言っても三浦義村ですが、義時のような権力亡者になるのは嫌だと言います。ブラック過ぎて、憧れられない主人公です。一方で公暁をだまし討ちして鎌倉幕府への忠誠をアピールする陰謀家ぶりは健在です。陰謀家の能力を保身と出世のために使うことは人間として醜いです。
三浦義村演じる山本耕史さんはNHK大河ドラマ『真田丸』で石田三成を演じました。義村が多くの人を裏切っているから、三成は関ヶ原の合戦で多くの人に裏切られたと揶揄されます。保身と出世のために策を弄する人物は、正論と理想を語る三成の対極の存在になります。
義時は、のえ(伊賀の方)に対して前妻の八重や比奈(姫の前)と比べるという言ってはいけないことを言います。視聴者からすれば今頃になって八重や比奈ができると気付いたのかと言いたくなりますが、言ってはいけないことというのは正論です。過去には仲章が義時にわざわざ言わなくてもいいことを言って敵視されました。今回の義時の台詞も同じようなものです。義時毒殺説が現実味を帯びます。
ドラマでは「出でていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな」が実朝の和歌として紹介されました。これは冤罪で左遷された菅原道真の「東風吹かば匂ひをこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」と重なります。実朝が暗殺を予見していたのではないかとの考えも出てきます。
逆に道真の二番煎じ色が強く、道真と実朝の運命を重ね合わせた後世の人が作出したものとの説もあります。実朝の和歌は万葉調とされ、京の公家の和歌と趣きが異なるところが、後世の人々に評価されました。この点から実朝らしくないと指摘されます。一方で実朝は本歌取りの和歌も数多く詠んでいます。実朝が愛読した新古今和歌集には式子内親王の「ながめつる今日はむかしになりぬとも軒端の梅はわれを忘るな」があります。
ドラマでは御台所との別れの歌と解釈しました。第39回「穏やかな一日」では「大海の磯もとどろによする浪われて砕けて裂けて散るかも」を失恋ソングと解釈しました。自然を詠んでいても実は人の思いが込められています。
実朝は失恋した場合に渡す歌として「大海の」の和歌を用意していました。それならば自分の暗殺を予見した訳ではなく、いつか別れが来た時のために渡す歌として用意していたのかもしれません。
また、「出でていなば」の和歌は素直に解釈すれば「自分が出て行っても屋敷の梅は春を忘れるな」になります。第44回「審判の日」で実朝は幕府を京都に移す構想を持っていました。幕府が京都に移るならば鎌倉の将軍御所は「主なき宿」となります。このように考えれば不吉さはなくなります。
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