NHK大河ドラマ『どうする家康』第14回「金ヶ崎でどうする」が2023年4月16日に放送されました。徳川家康は織田信長の朝倉攻めに従軍します。織田家の宴会はアルハラ気味で参加したくありません。
家康は信長のパワハラに「ざけるな」と本気で怒っています。「ざけんな」というセリフは時代劇らしくないですが、アルハラに苦しめられる現代人は共感しやすいです。家康にとって苦痛な宴会ですが、それでも家康がいることで場が和んでおり、意味があるために困ります。
酒井忠次は海老すくいで盛り上げます。歌詞に御当地の地名を入れます。信長に「後にも目がある」と賞された武人イメージは感じません。
『どうする家康』では浅井長政も朝倉攻めに合流する予定になっています。多くの物語では浅井と朝倉は同盟関係であり、信長は浅井と朝倉の縁に配慮して浅井には従軍を免除したとすることが多いです。ここでは、そのような配慮はありません。
近時の歴史研究では信長は天下統一を目指す革新者ではなく、室町将軍の下に畿内近国の天下静謐を目指す室町幕府秩序の擁護者だったとされます。『どうする家康』の信長の表向きの言説は近時の歴史研究に即しています。ところが、本音は別のことを考えていました。新説と伝統説の双方が成り立つ描き方です。
後に家康を裏切る石川数正が裏切りを分析します。「心に澱みがなく実直な御仁だからこそ裏切る」は自分を美化することにもなります。数正の出奔にはどのようなドラマがあるでしょうか。
家康は信長に直言しますが、信長は怒ります。『どうする家康』の信長は魔王に相応しい存在でしたが、実は他人を恐れている孤独な独裁者でした。『麒麟がくる』の承認欲求の強い信長に似ています。信長の矢印が『麒麟がくる』では明智光秀、『どうする家康』では家康に向いています。『どうする家康』の光秀は信長があまりに家康のことばかり考えていることに嫉妬して本能寺の変を起こすかもしれません。
『麒麟がくる』最終回「本能寺の変」
家康は信長に「あほたわけ」と言い放ちます。「あほたわけ」はドラマで繰り返されるキーワードになるのでしょうか。家康は信長を恐れるだけでなくなりました。しかし、自陣に戻ると弱気の家康に戻ります。
柴田勝家は家康を評価していました。織田家筆頭家老として形式的には同盟者であっても、実際は従属大名と見下すイメージがありましたが、『どうする家康』では違います。後の豊臣政権で加藤清正や福島正則ら武闘派から評価される素質が既に出ています。
市は兄ではなく、家康を助けるために浅井の裏切りを伝えようとします。第4回「清須でどうする!」の市の恋愛設定は必要かという議論がありましたが、ここでは家康につながります。市の侍女の阿月が活躍します。一話の中で回想シーンを入れて登場人物をフィーチャーする展開は第11回「信玄との密約」の田鶴と重なります。市が信長に小豆袋を届ける話が定番ですが、『どうする家康』は小豆ではなく、阿月(あづき)です。
阿月は10里(約40km)を走破します。長篠城の鳥居強右衛門を想起させるエピソードです。これは描かれるでしょうか。
金ヶ崎の退き口は次回に持ち越しです。殿を命じられた木下藤吉郎は家康を巻き込みます。この秀吉が天下人になる姿が想像できません。次回は第15回「姉川でどうする!」ですので、撤退戦の苦労はそれほど描かれないかもしれません。撤退を決定することが中々できず、それを決断することが最も大変ということは現代のプロジェクトでもある話です。
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