NHK大河ドラマ『どうする家康』第33回「裏切り者」が2023年8月27日に放送されました。裏切り者は出奔した石川数正がメインです。しかし、数正の出奔は本当に裏切りでしょうか。
徳川家康に相談なく羽柴秀吉と講和した織田信雄も立派な裏切り者です。一度は家康に臣従しながら反旗を翻した真田昌幸も沼田の領地を奪われるために理由はありますが、家康から見たら裏切り者になるでしょう。
サブタイトルが複数の意味を読み込める方式は『鎌倉殿の13人』と重なります。第35回「苦い盃」は北条政範毒殺の冤罪と、北条義時と畠山重忠の酒を飲んでの苦い会話を意味していました。
『鎌倉殿の13人』第35回「苦い盃」畠山重忠の冤罪
勝手に講和した信雄は腹立たしいですが、家康も越中の佐々成正や四国の長宗我部元親と同盟して秀吉包囲網を築いていましたが、停戦後は彼らを見捨てる形になりました。彼らは秀吉に各個撃破されました。
数正は大阪で秀吉と対面し、秀吉の強大さを認識します。自分の目で確認していない他の家臣団とはギャップが生じます。一部のアメリカ留学組を除いてアメリカの強大さを知らずに戦争に突入した大日本帝国軍人のようです。秀吉との交渉を数正に一手に引き受けさせるではなく、他の家臣も一緒に担当させれば良かったでしょう。それをしないほど家康は秀吉を軽視していたのでしょう。
第一次上田合戦が起こります。真田昌幸、信幸に加えて信繁も上田城に登場します。この頃の信繁は上杉景勝に人質として出されました。時間制約がある中で大坂の陣の重要人物になる信繁の顔を出させることに意味はありますが、それならば上田合戦の真田の活躍ぶりを観たかったです。
当時の昌幸は景勝に従属していましたが、『どうする家康』では既に景勝を見切り、秀吉に近付こうとしています。第一次上田合戦自体が秀吉の戦略の一環になっています。秀吉の怪物ぶりを描きます。その反面、昌幸の凄さが伝わりません。
むしろ昌幸は第一次上田合戦に勝利することで認められ、秀吉に臣従する独立大名になりました。昌幸からすれば秀吉にお膳立てして戦ったのではなく、秀吉も勝てなかった徳川家に独力で勝つことで秀吉からも一目置かれたところです。存在感のある役者を起用しながら活躍せずに終わった池田恒興(勝入)や森長可のようになってしまうでしょうか。
家康の家臣には数正が秀吉に寝返ったと言う者も出てきますが、酒井忠次は石川数正を理解します。素敵な関係です。今回の予告では忠次が数正の出奔を家康に報告するシーンがありますが、淡々とした報告で緊張感がありましせん。間の抜けた感じもして、数正出奔をどう描くのか不安になりましたが、本当の意味での裏切りではないと信頼がある故の落ち着きとなるでしょうか。
数正以外は秀吉との決戦を覚悟します。岡崎での決戦を考えています。これは領国の疲弊を最小限にする戦略です。実際には縦深防御であったと考えられます。本拠地を上方から離れた駿府に移し、秀吉の軍勢を三河、遠江と侵攻させて疲弊させます。
この戦略では岡崎城を守る石川数正が真っ先に秀吉の大軍とぶつかります。「岡崎城の石川数正は秀吉軍を停滞させるのが役目で、落城とともにかれは死ぬ」(宮城谷昌光『新三河物語 下』新潮社、2008年、133頁)。数正出奔の理由は単純に捨て石にされることが嫌だったという可能性もあります。
数正の調略には寧々も登場します。横柄な秀吉をたしなめつつ、「我が夫も乱世を鎮めたい一心なのでごぜえます」とフォローします。これだけならば良心的な存在に見えますが、秀吉が裏表あり過ぎて、秀吉と良い警官・悪い警官の役割分担をしているようにしか見えません。関ヶ原の合戦で家康は寧々を利用して豊臣恩顧の大名を味方につけることに成功したと描かれることが多いですが、この寧々を利用しても家康の良心は痛まないでしょう。
数正役の松重豊さんはドラマ終了後の紀行のナレーションもしています。次回からの紀行のナレーションはどうなるのでしょうか。
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