宮城県と東京都の医師2人が筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性を殺害したとして、嘱託殺人の疑いで2020年7月23日に逮捕されました。睡眠薬などに使うバルビツール酸系の薬物を投与したとされます。この種の問題は自己決定権のような高度に倫理的なテーマで議論されがちです。しかし、この事件が、そのように議論されることに違和感があります。
医師らは『扱いに困った高齢者を「枯らす」技術 誰も教えなかった、病院での枯らし方』との電子書籍を出版していたとされます(「《SNSで接点》100万円で京都ALS患者殺害 容疑者40代医師はペンネームで「高齢者を『枯らす』技術」執筆 Twitterに《オレはドクターキリコになりたい》」文春オンライン2020年7月23日)。
https://bunshun.jp/articles/-/39214
この書籍の紹介文は以下のようになっています。「認知症で家族を長年泣かせてきた老人、ギャンブルで借金を重ねて妻や子供を不幸に陥れた老人。そんな「今すぐ死んでほしい」といわれる老人を、証拠を残さず、共犯者もいらず、スコップや大掛かりな設備もなしに消せる方法がある。医療に紛れて人を死なせることだ。病室に普通にあるものを使えば、急変とか病気の自然経過に見せかけて患者を死なせることができてしまう」
今回の事件は「無駄な命を死なせたい」と思っている医師らが、その欲望を叶えたと見るものです。女性本人の「安楽死させてほしい」という要望は、医師らの欲望を実現するための根拠に使われたに過ぎません。買い手が危険ドラッグを欲しがっていることを根拠として危険ドラッグを販売する危険ドラッグ売人と変わりません。
治療継続の選択肢、苦痛を減らす選択肢、死の意味、死に至る際の苦痛などを説明しなければInformed Consentにはなりません。患者が「死にたい」と言ったとしても、死が望みかは考える必要があります。往々にして「苦しみを取り除きたい」という場合があるでしょう。
ここでは医師も民間ビジネス感覚に学ぶ必要があります。Henry Fordは「もし顧客に彼らの望むものを聞いていたら、彼らは「もっと速い馬が欲しい」と答えていただろう」(If I had asked people what they wanted, they would have said faster horses.)と言いました。自動車を知らない人々は「自動車が欲しい」とは言いません。死を口にする患者も同じところがあるでしょう。
そもそも自己決定権の尊重は、相手の意思が自分の要望と異なっても尊重することに意味があります。相手の意思が自分の要望と合致する場合にだけ飛びつくことは筋違いです。安楽死や尊厳死の議論が医療費削減や新型コロナウイルス感染症拡大による医療体制ひっ迫の文脈で登場することも医師嘱託殺人と似た面があります。これも医療提供側に都合の良い意思決定にだけ飛びつく姿勢です。
危険ドラッグ売人という最底辺の輩を引き合いに出して説明しました。残念なことに相手の意思が自分の要望と合致する場合にだけ飛びつく傾向は日本の公務員にも見られます。公務員組織は申請主義になっており、申請した人しか権利を認めません。それどころか特別定額給付金では申請書の目立つ場所に「申請しない」チェック欄を設けて、誤記載を誘うようなことまでしています。
極めつけは警察です。アメリカなど海外のドラマでは警察官が被疑者に「You have the right to remain silent.」と伝えます。しかし、日本は日本国憲法第38条第1項で「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と定めながら、当人が積極的に権利を主張しなければ権利を行使しないものと扱うと警察側が都合よく解釈しています。日本社会全体が真の意味で自己決定権の尊重を考える必要があります。
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