NHK大河ドラマ『どうする家康』が2023年1月15日に第2回「兎と狼」を放送しました。「兎と狼」は前回のラストの織田信長の台詞「待ってろよ竹千代、俺の白兎」との関連を想起させます。オープニングのロゴマークも兎を狼が追いかけています。このロゴは第1回とは別物です。
幼少時の家康は尾張の織田家と駿府の今川家の両方で人質生活を送りました。家康は後に今川家とは手切れになり、織田信長と同盟することから、尾張では心温まる交流をする一方、今川の人質時代は屈辱と描かれがちです。
これは後の歴史から逆算したもので、実態は異なります。今川への人質は教育や人脈作りの機会になるものである一方、織田への人質は誘拐と変わらないものでした。『どうする家康』は実態に合っています。今川がホワイト大名ならば織田はブラック大名に描きます。今川家は守護大名の屋形でしたが、織田家は山賊のねぐらのような状況です。家康は信長に虐められる人質生活を「地獄じゃ」と言います。
一方で信長には家康を育てる人という側面も描かれました。第1回の家康がトラウマになる人物という描き方が斬新であっただけにどうでしょうか。『麒麟がくる』で明智光秀に謀反を起こされて当然の信長を観た後では、乱暴だけど実はいい人キャラクターはありきたりに映ります。
桶狭間の戦いで今川義元が討ち取られたことは、家康にとって岡崎城を今川家から取り戻すチャンスになりました。伝統的には家康がチャンスを積極的に活かして今川家から自立を目指したと描かれます。これに対して『どうする家康』では家臣から要求されたものでした。
後に家康は本能寺の変の後に織田氏の領国であった甲斐や信濃を自分の領土にすることをします。空白地帯が生じた隙をついて自分の領土にしてしまう点で桶狭間の後の岡崎城と重なります。この時は領土拡張欲を持った戦国大名の顔になるのでしょうか。それとも今回のような「どうする」状態のままでしょうか。
今川の兵は岡崎城から撤退しましたが、すんなり岡崎城主にはなれません。松平一族からだまし討ちされ、包囲されます。岡崎城は先祖代々の本拠地ではなく、家康の祖父の代に松平昌久から奪ったものでした。家康は松平氏の惣領として君臨できておらず、昌久と対抗する際も今川氏真の権威を出しています。後に家康は徳川を名乗りますが、同格意識を持つ松平一族に君臨するために必要なことでした。
家康の生年は天文11年が公式ですが、天文12年とする記録もあります。ドラマでは両説が存在する矛盾を説明する内容になりました。
寅の年、寅の日、寅の刻に生まれたことが家康のアピールポイントになります。鎌倉幕府第4代将軍の藤原頼経は寅の年、寅の月、寅の刻に生まれ、そのために幼名は三寅と名付けられました。これは『鎌倉殿の13人』でも慈円に説明されました。
ドラマのタイトルは『どうする家康』で第1回が「どうする桶狭間」でした。「どうする清州同盟」「どうする姉川」「どうする三方ヶ原」など「どうする」で縛るパターンで統一すると予想しましたが、外れました。一方で毎回最後に家康が「どうする」という状態で終わる形で続いています。
『どうする家康』の語りは家康を「神の君」と言い、家康の活躍を誰かに語り聞かせている形式です。家康を「神の君」と呼ぶため、家康死後の江戸時代になるでしょう。春日局が家光に語り聞かせそうな話ですが、家光の幼少時に家康は存命であり、神君にはなっていません。
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