NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が2022年7月31日に第29回「ままならぬ玉」を放送しました。源頼家の暴走が続きます。領地争いの裁判で図面の真ん中に真っすぐに線を引いた『吾妻鏡』のエピソードが描かれます。
北条(江間太郎)頼時は、飢饉で民が苦しんでいるのに蹴鞠に興じる頼家をたしなめます。しかし、頼家は「蹴鞠は遊びではない」と反発します。現代人にとっては接待ゴルフや宴会、無駄な会議で仕事している感を出す人々に重ね合わせることもできるでしょう。
真っ直ぐな頼時に比べると北条義時には狡さがあります。義時は蹴鞠の練習をする頼家に「蹴鞠は大変ですな」と言います。頼家は評価されたと感じて心を開きます。一方で頼家は夜中に一人で黙々と蹴鞠の練習をします。この点を義時が評価したと見ることもできます。接待ゴルフや宴会、無駄な会議をコミュニケーションの円滑化という意味があると正当化する論理とは異なります。
蹴鞠に興じた頼家とは対照的に頼時は伊豆国で貧困に苦しむ民衆のために徳政を行います。当時は為政者の不徳で自然災害が起こると考えられていました。このために自然災害の救済は為政者の義務でした。為政者の義務は現代の政治家以上に重いものでした。
頼時が借用証書を破り捨てたことは後の徳政令の先例になります。鎌倉時代後半から室町時代には借金を帳消しにする徳政令が繰り返し出されます。これは問題の正しい解決になったかという疑問も出ますが、頼時のしたことは文字通り徳政と評価できるものでした。執権北条氏の嫡流を得宗と呼びますが、徳宗とも書き、徳政(徳のある政治)を行う主体と言う意味があったとする説があります。
頼時は泰時に改名します。頼時の頼は頼朝の一字を拝領したもので、頼朝没後に改名していることから義時の源氏離れを意味するとの説があります。『鎌倉殿の13人』の頼朝は、母親の八重が昔の自分の側室だったことから頼時(金剛)を自分の子どもではないかという質の悪い発言をしていました。その反感を忘れずに義時主導で改名するかと予想していました。
ところが、改名は頼家が征夷大将軍になる自分と同じ名前では不都合という頼時にとって腹立たしい理由でした。日本では主君が家臣に一字を与える一字拝領があり、それを否定する頼家は非常識な暗君になります。但し、中国には日本とは逆に避諱の風習があり、頼時は学問があるのかもしれません。
北条時政は遠江守になります。源氏一門以外の御家人の国司就任は初めてです。時政は比企能員との権力争いで一歩リードと喜びます。これに対して北条政子は「比企のことは忘れて」とたしなめます。北条家の権勢拡大を追求する時政・りく夫婦と、鎌倉殿の御台所として幕府全体のことを考える政子の違いを描きます。これが後の時政追放の対立軸になるのでしょうか。
但し、時政の遠江守就任は政子の強い働きかけがありました。義時・政子を北条家に我田引水しない善玉とすることは苦しいです。後に和田義盛が上総介を望んだ際に政子や義時が反対しました。
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