どんなに小さな出来事でも、世の中に出た瞬間、世界は才能を見逃さない。
たった一本の動画で、たった一曲で、たった一枚の絵で、たった一つの作品で、その人の才能は世界にバレる。
僕はいくつ作品を発表しただろうか。
数えられないくらいある。
今まで自分にも周りにも言ってきた。
「何年頑張った?。僕に、君に、才能があるならもう売れてる。でも今が現実だ。だからそれを認めてひたすら頑張ろう。それをしなきゃ生き残れないよ」
心の底から思う。自分に才能がないことを。だから本当はカッコつけたいけど、色々やる。
バンクシーみたいにInstagramだけやるなんて最高にカッコいい。プロフィールにはこれだけだ。
not on facebook, not on twitter.
最高にクールだ。
なぁバンクシー。僕はTwitterのアカウントいくつ持ってるか知ってるかい?
共感しかない。才能があると思ってる人はかわいそうかもしれない。僕はないと思ってるからマシだ。
でも、あの物語に共感したら普通は心が泣く。心に閉まってるものをこじ開けられたような気がして。
でも僕は、涙も出ない。
なぜか。
才能がないとわかっているのに、振り切った行動もしてるのに、恥ずかしい本音がある。
世界の誰かが、見る人が見れば、僕の才能を認めてくれるかもしれない。
たった2%、これが僕の気持ちにはある。
もちろん98%はないと思っている。でも僕は2%だけ否定できずにいる。
どうあっても消せない2%。1%と思えばどんなに楽か。99:1は絶望的の比喩だ。だから僕は2%と思っている。
才能はなくてもいい。僕にできるのは自分を信じることだ。これは無くなってはいけない。
今は幸せの形は皆と同じではない。そんな時代に大事なのは自分を信じる事。
何をやりたいのか、何が楽しいと思うのか、何が好きなのか。人生を楽しくさせるのは自分の意思決定による行動だ。
その決定した自分を信じる事で、どこまでもワクワクさせる。
0%。そこに可能性はない。だけど多くは0%の遥か手前でやめる。
良い。0%って確定してないのが良い。自分の未来は決められたプログラム通りだと認知するとそこから逃げたくなる。
人は0%ではないランダムな部分に無限の幻想を抱く。それが自分を楽しくさせる。
「才能がある・なし」じゃない。
0%じゃないところに人は想像力を膨らませて、そこに可能性を感じ、意思決定をし行動するんだ。
こんな楽しいことをやらせてくれる0%ではないランダムな無限の可能性にお礼を言いたい。
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「なぁ、0%ではないランダムな無限の可能性よ、才能がなくて良かった。そこに気づけて良かった。楽しいな。自分で好きなことができるって。
2%を追い求めることにするよ。なんでかって?だって、そっちの方が最高に楽しいからさ。
才能はないよ。
でも2%あると思ってた方がどうやら楽しいんだ。むしろこっちの方が僕らに大事なはずだよ。
だからこれからもよろしく。0%ではないランダムな無限の可能性、ありがとう。」
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2%を追い求める、独自理論による和風ジャズピアニストかねこの音楽はこちら(YouTube)
和風ジャズピアニストかねこ