地元の友達が焼き鳥屋として独立するということで看板等を頼まれました。
色々あってなくなってしまったので、供養の意味も込めてイラフォトコンテストへの応募作品とさせていただきます。
普段、友人からの仕事は受けませんが、私が地元に帰るたびに必ず店に寄るから、その時に美味い焼き鳥とビールを奢ってもらうという約束で協力させてもらうことにしました。
彼は高校の同級生で、高校時代は特別に仲がいいわけでも悪いわけでもなかったのですが、何度か同じクラスになったことがある程度。
卒業してからは共通の友人の結婚式で顔を合わせたくらいで、その他の交流はありませんでした。いわば友達の友達。
その共通の友人というのが、私にとっても、焼き鳥屋の彼にとっても無二の友であるため、その友人を介してこの話がきたわけです。
なにしろ久しぶりだからまずは二人で飲もうということになったのが2019年の秋口だったと思います。
飲み屋では彼の卒業からこれまでの話を聞きました。
彼はある焼き鳥チェーン店でしばらく働き、店長など勤めているうちにチェーンの海外展開の先陣を任されることに。
以来、彼はフィリピンや台湾で焼き鳥を焼いたり、イタリアやアメリカでラーメンを作ったり、世界を股にかけて海外展開に尽力していきます。
いずれ自分の店を持ちたいと考えるようになっていた頃、地元で所縁のある飲食店が閉店になるという話が彼に舞い込んだ。居抜きで入れるというスンポー。
勤めていた会社の社長は、世界を飛び回ってチェーンを拡大してくれた彼に抜けられるのはとても辛かったようですが、結果的には快く独立を認め、仕入ルートを貸してくれる約束までしてくれたそうです。
たまに地元に帰ればそんなアグレッシブな人間の苦労話を聞きながらタダで焼き鳥を食べれるのかと思うと得した気分になってきたので、できるだけいいいものを作ってあげようと何度も意見を聞きながら形にしていきました。
看板のほか、のれんやTシャツなんかも業者手配から任せてもらいました。
実は、この作品はその中の没案にすぎません。私は最後までこれをすすめたのですが、私の店ではないので最終的には別のデザインに。
決定案の方ももちろん気に入っていますが、この企画に一番乗りすべく彼に許可を得ずにこの記事を書いているので今回はこちらを採用。
して、なんやかんやで翌年2月にオープン。
さすがは世界を股にかけて焼き鳥を焼いてきた男。美味いのなんのって美味い。
ある程度大人になると「今まで食べてきた焼き鳥はなんだったんだ」と思うような"ちゃんとした焼き鳥"に出会う機会は誰しもあるかと思います。
私もそんな経験はとっくに済ませておりましたが、それでもなお「今まで食べてきた焼き鳥はなんだったんだ」と思いました。
〆には彼が世界を股にかけて作ってきたラーメンを小盛りで。
お察しの良い方は既にお気づきかと思いますが、時は新型コロナ禍の開幕期。
もうドンピシャ。
ただですら飲食店なんてどこも開店休業状態だったところに向かいのファッションビルでクラスター発生。
2ヶ月も経たずに彼は店を畳むことを決意。
周りは大反対しましたが、今にして思えば英断。
美味い焼き鳥だったんだけどな〜
その後彼は「飲食以外のこともやってみたい」とのことで、不動産の営業マンに。
いい歳してキツいんじゃないか?と思ったのですが、なんと彼は今