もう平成が終わりますね。
自分は高校の時、平成が始まりました(年齢バレるがな)。
親がアル中で、家庭内暴力が酷かったのですが、
ある日母親と兄と3人で夜逃げ。
各地を転々としながらも高校に通っていましたが、
精神的に負担が大きかったのか、3か月程不登校になりました。
※鬱だったのですが、当時は自律神経失調症という診断。
行きたかった大学にも行けず、映像の専門学校では
やたら黒澤明を推す学校の先生と対立し、卒業1週間前に
自分の卒業作品で喧嘩になり、そのまま卒業許可が下りず。
あとは「プランナーは遊技機プレイヤーの夢を見るか?(1)」に続きます。
さて、この業界に入って、一番楽しかった開発のお話をしたいと思います。
開発は自己満足になってはいけないと思いますが、それでも基本は
メーカー、開発会社が一致団結して、良い雰囲気でモノが作れる事
が前提だと思っています。
「〇の〇〇」の企画制作後、社内の問題で一旦退社をしようと決めます。
辞表を持って社長室に。
社長に辞表を出した時に、社長に言われました。
社長「メーカーのHさんからお前に指名で、開発依頼来とるぞ」
自分「へ?」
実はその話の2年前に、H社と仕事をしていたのですが
メーカーの担当者さんにこう言いました。
「そちらで過去にB〇〇M〇〇って機種出しましたよね?
あれ、あの扱いはないんじゃないですか?映像も使わずドラム式って。
今後新しい映画やるんで、版権取りません?
自分絶対良いものにしますから」
実は、B〇〇M〇〇、大好きだったんですね。
多分、この時、この業界に入って、自分が好きで提案した最初で最後の
版権でした。
そしてH社さんは、まさか…その版権を取って、自分に振ってくれたのです。
あ、辞表はあっさり撤回しましたw
多分、この機種の依頼がなければ、その時点で会社を
そして、この業界そのものを辞めていましたし
今の自分は無かったです。
(なんという運命の巡り合わせ)
数日後、H社の担当者さんに挨拶に行きました。
なんと担当者さんもこの版権が大好きで、自分が持って行った映画の資料や
コミックを見て、3時間大いに盛り上がりました。
もちろんだからと言って、今のメーカー開発者のような、自分のエゴを
押し出す事はしませんでした。
この辺りは、当時の意気投合したメーカー担当者さん(Iさん)も一緒でしたね。
原作コミックを読み、また監督の書物、過去の作品を観、たくさんディスカッション
しました。
CG会社は今日本トップクラスのCGアニメ系の会社さん。
こちらの担当者さん達も素晴らしかったです。
演出を決め、モーションキャプチャーの動きは映画の資料に基づいた
CQCの動きと、少し遊技機の要素を取り入れた動きを
スーパーリーチ演出等に取り込んでいたので、
殺陣師の監督さん達と、喧々諤々(良い意味で)しながら
撮影しました。
※八王子のスタジオは遠かった。
所がここに来てまず1回目の問題が発生します。
途中経過のメーカー社内会議で、営業から
と依頼がありました。これは断る事ができませんでした。
開発の時間がない。
モーション含め、撮り直しの時間もない。
さてどうしたものか?
この時、メーカーのIさんやCG会社の方々3名がわざわざ泊まり前提で
会社に来てくれ、緊急会議になりました。
色々アイデアを出しつつ…
段々時間が経つごとに変なテンションになっていくみんな。
「タバコが吸いたい」
という事で、喫煙場所(食堂)にホワイドボードを持ち込んで
打ち合わせを続けたのが、午前2時。
CG会社Sさん「はい!(挙手)」
自分「はい!Sさん」
Sさん「僕は、こんな演出が良いと思いますっ!」
という小学生の授業のような感じに…w
終わったのが午前4時。
自分もホテルに泊まりましたが、オールでIさんの部屋で
飲んでいましたw
さて…この時点で
時間がない。
人手が足りない。
開発費も足りない。
自分も久々にオーサリングを作りました。
社内のデザイナーもプログラマーも、本当に一体となって
※最初はプログラマーとぶつかりましたが、熱い討論と
デザイナーさんの情熱で一体となりました。
ガンガン開発を進めていきました。
ちなみにバトル中の声は、これまた声優さんを再依頼する時間もお金も
無かったので、自分がやっていますwww
しかしここでまた問題が…
H社さんが別メーカーさんと合併してしまったのです。
これで新枠の問題が発生したり、そもそもIさんの状況も変わってしまいます。
下手したら、作っても機種の販売そのものがペンディングされてしまうかも?
しかしこの機種はなんとか販売されました。
正直、販売台数としてはあまり売れませんでしたが、
メーカー、開発会社、協力会社、全てが上下関係もなく、一丸となった開発でした。
Iさんはその後メーカーを退社。
元々他業種でスキルをお持ちだったので、他社に行っても活躍され
今は遊技機業界ではない、VR関連の、みなさんが知っているキャラクターの
開発等を行っています。
そしてプライベートでもPerfumeのライブに一緒に行ったり
今でも連絡を取っています。
また当時の開発メンバー(社内、協力会社)は、今でも会うたびに
何故か変なテンションだった時に出来た決め台詞
「BMBサイコー!」
と言い合っています。
正直これ以降では、この時のような良き開発に出会っていませんが
今でも、このような開発が出来たら、と思っています。
さて、平成最後となりましたが、
令和は、脱藩して?もっと広い世界で勝負すると心に誓っています。
みなさん、良い令和を。
(※次回【独立するということ、フリーになるということ】に続く…)