神奈川・平塚エリアの神社を詣でました。前鳥(さきとり)神社参拝後、三嶋神社へ。
境内入り口
一の鳥居
須賀の弁天社 マツの生え方が海が近い感じがしますね。
二の鳥居
御神木のクスノキ 存在感があります。
拝殿と社務所
拝殿 装飾彫刻が美しいですね~。
御祭神:大山祇命 事代主大神(えびす様)
創建
古代の人々が(1000年以上前)、この地に足を踏み入れ漁業を中心とする生活基盤ができた頃といわれておりますが、文献などもなく定かではありません。なお、古文書や江戸時代に編纂された「新編相模国風土記稿」などから平安時代(794年~)当地は「須賀のから浜」と呼ばれ、「薬師三島明神の本地仏なり長一尺五寸弘法の作と伝」と記し、ご社殿に神さまと本地佛薬師を祀られてることが記されてます。その頃から人々の信仰を集めていたと思われます。そして、時代と共に港町として発展し、戦国時代の永禄9年(1566年~)には、大名の小田原北条氏から魚類や船運業の集散地として手厚い保護をうけ、江戸時代(1600年~)には幕府公認の港として、相模国(神奈川県)の穀物と資材等を江戸や千葉の房総半島へ運搬する海運業の要所として栄えました。
当神社も港町の総鎮守(そうちんじゅ)として、住民や魚商業、回船業の方々より厚い崇敬の念を集めました。江戸時代半ば(1670年~)には「須賀千軒(すかせんげん)」といわれるほど商店や民家が増え、相模国の海運・海路の玄関口として大いに発展しました。
特に大山など山岳信仰が盛んになると、江戸や伊豆、房総半島から大勢の旅人が船で須賀港に寄港し、当神社に参拝し、道中の安全と心身の守護を祈願する慣わしがありました。現在も、港町の総鎮守として「明神さま」「湘南のえびす様」の御名で親しまれ、お店や会社の「商売繁昌」、家庭の「家内安全」など家庭円満や目標達成をもたらす神社として多くの方々から厚く信仰されてます。また、近年では「湘南ひらつか七福神」の一社、「開運のお宮」として広く遠方の方々がご参拝になられてます。http://www.scn-net.ne.jp/~misima-j/go-yu-rai002.htmlより。
境内社の厄神社と伊邪那岐社
彫刻もされているナマコ壁の蔵 惹かれました^^
地図を見ると須賀港(平塚漁港)から三嶋神社へ道が続いているのが解ります。昔はこの平塚漁港の辺りに海岸線があったのでしょう。三嶋神社から北西方向は伊勢原を経由した先に大山阿夫利神社が鎮座しています。
クルマで神社を参拝巡りしていたこともあり、須賀港脇までは何となく行ったのですが・・・降りて散策すれば良かったなあと。地魚の魚やさんもあったので、いつか機会があったらまた行ってみようと思います。
7月第3土曜日,日曜日 - 例大祭(須賀のまつり)
かつては須賀千軒と言われるほど賑わった須賀の町の祭り。盛大に行われかつては7日~12日までといつまでも続けられたため、「須賀の入梅祭り」「須賀の長まつり」と言われ、5台の山車を先頭に御輿が浜入りを行った。その後深夜三嶋神社に還った。現在は大御輿を中心に2日間各町内を渡御した後浜降祭、子供達のパレード、山車太鼓、町内御輿に導かれ大御輿が宮入をする。
三嶋神社 (平塚市) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2019年7月15日 (月) 13:18
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