
越前焼(えちぜんやき)
福井県丹生郡越前町の主に宮崎地区(旧宮崎村)・織田地区(旧織田町)で焼かれる陶磁器(炻器)。釉薬を用いずに高温で焼成されるときに薪の灰が器に流れ出し、溶け込む自然釉の風合いで知られる。
歴史は非常に古く、平安時代から始まったといわれる。長く無名であったが第二次世界大戦後小山富士夫等により日本六古窯の一つにあげられた際に越前焼と名付けられた。それまでは「織田焼」と呼ばれていた。当初から壺や甕、擂り鉢などの台所用品が作られていき、他の古窯が江戸時代に茶器などを焼いていった中で、越前焼だけは決して趣向を変えることなく、雑器を焼き続けていった。そのため江戸末期から明治には衰退の一途を辿り、一時は廃絶の危機に追い込まれた。 復興の契機は1970年(昭和45年)に作られた越前陶芸村で、これを境に窯元が急増、観光客が多く訪れるようになった。今日では若い感覚の作品も多く見受けられるが、基本は古くからの焼き締めが中心となっている。1986年(昭和61年)に通商産業省(現在の経済産業省)から伝統工芸品の指定を受けている。
越前焼の興隆と時を同じくして衰退し消滅した能登半島の珠洲焼とは流通範囲がほぼ重なる点と自然釉等の共通点から、越前焼による珠洲焼の駆逐、或いは珠洲焼の技術者達の集団移動等が研究されている。
越前焼 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2018年12月8日 (土) 06:42
・越前町は、織田信長(織田一族)発祥の地。泰澄大師ゆかりの地。
・2005(平成17)年に4市町(朝日町、宮崎村、越前町、織田町)が合併した際に旧越前の町名を踏襲した。
・長い間、越前で生産された陶器に統一名称はなく、「小曽原焼」「熊谷焼」「おた焼」「たいら焼」など、集落名を冠した名称で呼ばれていました。
・1965(昭和40)年、福井県内で生産される陶磁器の総称を「越前焼」と統一することにより、越前焼の名は全国に定着していきました。
越前・ 織田焼・左近窯(福井県丹生郡織田町)の作品(128mmxH75mm)





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