前回、御岩神社山頂付近の「光の柱」や「赤い石」、その考察を投稿しました。続きです。
山頂での景色を堪能後、裏参道を境内へ下りていきました。
三宝荒神社
この辺りは、ちょっと怖いような空気・空間でしたよ。
薩都神社中宮
延喜式内社の "薩都神社" (常陸太田市里野宮町) の御岩山中の "薩都神社" は 山宮 にあたる。その関係は、春の稲作が始まるころに 田の神 (祖霊・雷神) として里へ降り、稲作が終わった後に山に昇るという農耕儀礼を意味するようです。
この辺りの空気・空間はとても穏やかで居心地が良かったです^^
境内へ下りてきました。
祭神 御岩山神社 諸神明細 国之常立神、大国主、伊邪那岐、伊邪那美ほか22柱。
御岩山全体では188柱の神が祭られています。良く見ると「表山(1~120柱)」と「裏山(121~188柱」に分かれています。いや~スゴイ神さまの数です。
姥神社
苔むした帽子を被っていた狛犬^^
御岩神社・拝殿
御神橋
斎神社
斎神社内部の龍の天井画
「御岩山雲龍図」平成28年の茨城県北芸術祭で画家の岡村美紀さんにより描かれたもの。
阿弥陀如来像(斎神社拝殿内右)
室町時代のものといわれ、かつての常念仏堂の本尊。
この斎神社、5柱の神さまが奥の本殿に祀られており、中央に祖霊社、左にかつては大日如来(今は大日堂に祀られている)、右に阿弥陀如来と見事に神仏混交(神仏習合)しています。
不動明王と池
ここで不動明王に睨まれながら身を清めて入山したのでしょうね。奥から清水が湧き出ていました。
こちらは5年前の池の様子。2015年の参拝の様子はこちら↓
12月の曇天でしたので日中でも薄暗く灯篭に火が灯っていました。
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上記サイトにて、御岩神社の解説がありましたので抜粋させて頂きます。
古く縄文時代の昔、日本列島には最初に原ポリネシア語を話す民族が南方から渡来して住み着き、原ポリネシア語で地名を付けていたと思われます。
その地名は、昔も今も殆ど変わらない発音で生きて使われています。
賀毘禮(かびれ)の高峯
『常陸国風土記』久慈郡の条に「東の大き山を賀毘禮の高峯と謂ふ」とあります。天つ神の立速男(たちはやを)命、亦の名を速経和気(はやふわけ)命が、汚れた人里から離れて賀毘禮の高峯に登ったとし、「其の社は、石を以ちて垣と為し、・・・併(また)、品(くさぐさ)の宝・・・皆石と成りて存(のこ)れり」とあります。
この山を久慈・多賀両郡境、現日立市の神峰山(598メートル)とする説(岩波大系本)と、その西の日立市の入四間山(御岩山)とする説(角川書店『日本地名大辞典』)がありますが、御岩山の山頂には多くの石の遺構があり、風土記の記事と一致しています。
この「かびれ」は、マオリ語の 「カピ・レイ」=「宝物が・表面を覆っている(山)」の転訛と解します。
ちなみに、この神名の「たちはやを」、「はやふわけ」は、マオリ語の 「タ・チ・ハ・イア・アウ」=「人に罰を与えて放り出すことが実に厳しい(神)」 「ハイ・アフ・ワカイ(ン)ガ」=「要(かなめ)の石のような・聖なる峰に・人里を離れて住む(神)」の転訛と解します。
すごいですね!「宝物が表面を覆ている山」は、つまり、5億年前の日本最古の地層の断面のきらきらした粒が雲母で、宇宙から写真を撮ると、この雲母のせいで、この土地は光って写るという見解と一致します。
宇宙船から宇宙飛行士が地球上の強い光を見たと云われる御岩神社。雲母のせいで光って見えたのか、磁場のせいなのか、それとも神々の光なのか・・・これ以上は判りませんが、いずれにしても太古からの聖地であり、5億年前の古い地質は地球のエネルギーが凝縮された場所ということになりますね。UFOも離着陸しているかもしれませんよ~(笑)
以上、盛沢山な神社でございました。
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