三崎漁港で腹ごしらえの後、定番の神社巡り(笑)
まずは三崎港でググってみたら、花暮竜宮様が近くにあったので行ってみました。
「うらり」の入り江の反対側ですね。
鳥居をくぐると祠が三つ。
ん? どっちから参ったら良いのか解りません。最終的に鳥居をくぐった対面の祠に手を合わせましたが・・・他の二方向も参るべきだったか?祠の穴の意味は?
時間のあるときに調べてみたいと思います。
チャッキラコ(奉納踊り)は、本宮神社、海南神社、仲崎龍神様、花暮竜宮様に奉納されるようですね。女性のみで踊るようですよ。
その後、直ぐ近くの「本宮神社(海南神社)」へ。
清和天皇の治世、皇位継承争いに絡んで讒訴を蒙り左遷された藤原資盈(ふじわらのすけみつ)が貞観6年(864年)、任地の筑紫国へ赴く途中で暴風によって三浦半島に漂着し、当地の長に推戴された。その後、資盈は房総の海賊を平定したうえで福祉に努めたことから地元民に崇敬され、貞観8年(866年)に資盈が没すると、地元民は祠を建てて祀った。
海南神社 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年1月21日 (木) 12:20
藤原資盈公は、天児屋根之命之の苗裔。九州太宰少弐広嗣(藤原広嗣)の五代の孫。
海南神社の主祭神なのですが、この神社が元となる為、本宮神社と呼ばれているようです。
さて、海南神社を目指します。
参道へ続く路地付近には古くからの商店とリニューアルしたお店が混在しています。
参道へと続きます。
この路地の切れ目が参道なのかな? 海南神社の鳥居が見えてきました。
途中に「イタコ」というお店が・・・。気になります。
スナック「イタコ」のようですが・・・ググってみると、気になっている方は結構いらっしゃるようですが詳しい情報はありませんでした。参道にイタコですからねー、気になりますよ(笑)
境内入り口と社務所
良い感じですねー。
拝殿
境内に入って直ぐ左の疱瘡神社。右には御霊神社。
疱瘡神社は、源為朝を御祭神とする。疱瘡退散、ウイルス除、武道向上。
平安時代の『続日本紀』によれば、疱瘡は天平7年(735年)に朝鮮半島の新羅から伝わったとある(天平の疫病大流行)。当時は外交を司る大宰府が九州の筑前国(現・福岡県)筑紫郡に置かれたため、外国人との接触が多いこの地が疱瘡の流行源となることが多く、大宰府に左遷された菅原道真や藤原広嗣らの御霊信仰とも関連づけられ、疱瘡は怨霊の祟りとも考えられた[3]。近世には疱瘡が新羅から来たということから、三韓征伐の神として住吉大明神を祀ることで平癒を祈ったり、病状が軽く済むよう疱瘡神を祀ることも行われていた[4]。
江戸時代の読本『椿説弓張月』においては、源為朝が八丈島から痘鬼(疱瘡神)を追い払った。
疱瘡神 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2020年12月29日 (火) 16:08
上記のような言い伝えがあるので、源為朝が御祭神なのですね。「藤原広嗣らの御霊信仰とも関連づけられ、疱瘡は怨霊の祟りとも考えられた」・・・藤原資盈公は、天藤原広嗣の五代の孫ですから、それらの関連で疱瘡神社もかなり古いかもしれませんね。
手前の池については以前、テレビでやってましたねー。
立派な神楽殿
手水舎
奥の右が雄の銀杏・龍神様、手前に力石が並んでいます。
奥の左が雌の銀杏 ご神木、子産石(こうみいし)・・子宝、安産に良縁がある石
福徳稲荷神社
雌の銀杏 ご神木、子産石(こうみいし)
「源頼朝」「手植え」とググると、あちこちの神社で、杉、松、ソテツ、ツツジなどがヒットします^^
海南高家神社
高家神社(たかべじんじゃ)は、千葉県南房総市ある神社で「料理の祖神」を祀る神社のようです。この神社の右奥には包丁塚がありました。
隣には磐鹿六雁命の大きな絵が掲げられていました。
磐鹿六鴈(いわかむつかり[1])は、『日本書紀』等に伝わる古代日本の人物。
第8代孝元天皇皇子の大彦命の孫で、比古伊那許志別命(大稲腰命)の子とされる[1]。また膳臣(かしわでのおみ、膳氏:のち高橋氏)の遠祖とされるほか、現在では料理神としても信仰される。
磐鹿六鴈は高家神社(千葉県南房総市)や高椅神社(栃木県小山市)、高橋神社(奈良県奈良市)、およびいずれかの神社から勧請を受けた各地の神社で祀られており、料理の祖神、醤油・味噌などの醸造の神として調理師や調味業者などの信仰を集めている。
磐鹿六鴈 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
海南神社・拝殿
幣殿および拝殿は、棟札から寛政10年(1798)の建立で、三浦郡網代村の大工・重田治郎兵衛と長谷川庄七の手によるものとされています。
なんとなく中華風な雰囲気ですね。色合いか?装飾彫刻の色合いか?字体か?
本殿
本殿
本殿は棟札(むなふだ)から寛保3年(1743)の建立で、建長寺大工・河内三左衛門の手によることが知られています。拝殿と共に県重要文化財。
拝殿前のおみくじ「三崎鮪みくじ」
釣り竿を使って好きなまぐろを“水揚げ”し、運勢を占うらしいです^^
金毘羅宮へは行けませんでした。右は神馬舎。
海南神社(かいなんじんじゃ)は、神奈川県三浦市にある神社。三崎港から市街地を少し山手に入った地点に鎮座する。相模国三浦総鎮守。藤原資盈(ふじわらのすけみつ)、資盈の后である盈渡姫(みつわたりひめ)、筌龍弁財天(せんりゅうべんざいてん)(三浦七福神)、及び地主大神を祀る。源頼朝がお植えになられた御神木や、龍神様の形をした御神木等がある。
清和天皇の治世、皇位継承争いに絡んで讒訴を蒙り左遷された藤原資盈が貞観6年(864年)、任地の筑紫国へ赴く途中で暴風によって三浦半島に漂着し、当地の長に推戴された。その後、資盈は房総の海賊を平定したうえで福祉に努めたことから地元民に崇敬され、貞観8年(866年)に資盈が没すると、地元民は祠を建てて祀った。天元5年(982年)には現在の地に社殿が建立され、三浦郡の総社となった。
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城ケ島へ渡る前に諏訪神社がありました。
向ヶ崎諏訪神社
応仁年中(1467〜1469)に信濃国の諏訪社を勧請した事に始まると伝えられています。
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その後、城ケ島大橋を渡り、城ケ島海南神社へ。
城ケ島海南神社・境内入り口
階段参道では、猫ちゃんが。。。。上段にも顔半分隠して(笑)
拝殿
参道両脇には砲弾
拝殿
拝殿前より
階段参道上より。
なかなか盛沢山な神社巡りとなりました。バスの都合で切り上げましたが、またいつか城ケ島の散策には来てみようと思います。
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