投稿、漏らしていました^^;
たぶん7月に参拝。
境内入り口
由緒
当氷川神社は上高田一円の鎮守として享徳2年(1453)素戔鳴尊の御神徳を慕う土地の人々が、武蔵国一の宮氷川神社より御神霊を勧請し、お社を建てたのを嚆矢といたします。長禄年間(1457-1460)太田道灌は、しばしば当社に詣で、松一株を植栽したと伝えられております。この松は目の高さ幹回り約4mの御神木となり大切に保護されておりましたが、昭和12年(1937)枯木となりました。また、正保年間(1644-1648)に代官野村彦太夫為重が社殿の修復をしたと江戸時代「武蔵風土記」に記されております。古老の記憶によれば、大正初期(1912-20)本殿の規模は一間四方にて覆屋の下にあったとの事であります。当時氏子は100戸、境内地の面積は470平方(142坪)の小規模な神社でありましたが、大正11年(1922)氏子より土地の寄進を受け、境内地を広げ現在の形態へと発展いたしました。大正12年(1923)に至り社殿新築の計画が立案され、直ちに着工、大正15年10月(1926)遷座祭が執り行われ、今日の氷川神社の姿がほぼ完成いたしました。また昭和10年以降、手水舎、鳥居、石燈籠、手水盤、狛犬等の奉献がありました。当神社は不幸な太平洋戦争による戦禍はまぬがれたものの、戦後の混乱の中にあって境内の整備はゆきとどかぬままでありました。幸い敬神の念厚い氏子により昭和29年(1954)には神楽殿が新築され、以後大祭の復活など各種の復興整備が進められました。昭和63年(1988)に宿願の社務所が完成し、上高田一円の鎮守として神威をととえるに及んでおります。(境内掲示より)
スマホで補正したら雑草がスゴイ色になっちゃいました(笑)
最近は、どこの神社も「厄除祈願」の旗がありますね。
拝殿
拝殿脇より。少し回りよりも高台で近くには妙正寺川が流れています。
良い空気空間でした。
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直ぐ近くにお不動さんがあったので寄ってみました。
真言宗豊山派寺院東光寺別院の櫻ヶ池不動院
ニシキゴイが綺麗です。
不動院
当地には昔から豊かに清水が湧出し、いつの頃からか大きな椿のもとに小さな祠があり、お不動様が祀られておりました。村人はお不動様の清水、桜ヶ池の不動様と称し、大事に守って参りました。
古老の伝承によれば、江戸時代中期享保のなか頃より上高田には榛名、大山、武州御嶽、三峯の四講があり、講中の代参者は禊清めました。また日照り続きのときは雨乞いを祈願したり、あるいは子どもの遊び場所としてこの辺りは村人から親しまれておりました。現在はポンプ式でくみ上げのようです。
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