バスやタクシーの嫌いな、ましてや、観光ツアーの嫌いな私たちは、
夕方の船が稚内へ向けて出るまでに、
徒歩で見られる範囲を見ようと話し合っていました。
姫沼の逆さ利尻富士ともうひとつ、私たちが見ようとしていたのは、ペシ岬です。
ペシ岬の切り立った岩山を、完全に自然の造型だと思っていた私は、それをとても美しく感じていました。
しかし、この説明板を見たとたん、風景は一変しました。
そこにはペシ岬の岩山は、アイヌの聖地であったこと、そこを何度もダイナマイトで破壊し、採石された岩石で、稚内の防波堤は作られたことが書かれていたのです。
そしてそのペシ岬に今では神社があります。
アイヌモシリを北の果てまで侵略、収奪し尽くした歴史に改めて胸が痛みました。
そのペシ岬から見る利尻富士も美しかったです。
しかし、今度は、この利尻富士という名前すら悲しいと感じ始めました。
ヤマトを代表する富士山の名前の冠されたこの山のアイヌ語の名前は何だったのでしょうか。
そんなことを考えていると、
この浜が、アイヌの暮らす島のままだったらどんな光景だったのかが、
幻のように浮かんでくるようでした。
防波堤もテトラポットもない、自然の砂浜に並ぶ、木が刳りぬかれただけのカヌー。
私はその光景に出会いたかったと感じました。