文章がよいのは具体的なにおいが伝わるところだ。生物のにおい、野焼きのにおい、本屋のにおい。においの良い悪いは関係なく、また実際に嗅いだことがないにおいでも、言葉で書けば読み手は自分の知ってるにおいを思い出す。ソムリエも言葉でにおいを伝える。
これは他のツールではなかなか難しい。映像では無意識に映る物の形状や動作、速度などに目がいくのでそれらの情報処理が優先されにおいまで回らないことが多い。音楽では拍子と音律が情景を想起させ、作曲家や演奏家の感情が伝わることはあっても、やはりにおいはその場のにおいを嗅いでいる。においを意識した作品自体、あまりない気がする。
何故具体的なにおいがよいのかといえば、エモいからである。記憶に強く残るものであり、以前経験したにおいを嗅ぐと、記憶が蘇る。一時期私は夕餉のにおいに惹かれていたことがある。子供の頃を思い出すというのもあるが、自分が生まれる前にも死んだ後にも、同じにおいがしていた/しているんだろうなあ、という思いは不思議と落ち着くものだったからだ。
改めて考えてみると、においが喚起する郷愁より、においが人や人の心を動かす力強さの方に惹かれる。焼き鳥のにおいは暖簾をくぐらせるし、香りを身に付けることはセックスアピールにもなる。その本能的な感じが正直で好きなのだろうと思う。