自然は常に人の想定を超えてくる。物語においてもそれは同様で、完全に破綻のない創作より、嘘みたいな事実の方が面白い(と私は思う)。というか、面白さとは嘘みたいな事実を自分にとって安全な形で味わう感覚なのかもしれない。以前仕事を増やし過ぎて余裕がなくなった時は、想定内の現象しか受け入れられない赤ちゃんみたいな状態になった。勝手な想像だが、自分の存在意義として肩書や立場や仕事をすること自体に固執していたり、有名であることで生計を立てている人はきっと毎日相当なストレスで、理解できないものや想定外のものを面白がるどころか否定したくなったりもするのだろうと思う。今の私は好きなことをしている時間と同じ位、偶然を楽しむ暇を愛している。余裕がなければ、生きていること自体が楽しめない。
想定を超えてくるとはいえ、自身の安全や自由を守る為に、事実を正確に把握したり、起きている現象を理解したい欲求がある。その理解が「ありのまま」なのか「自分が納得できればよい」のかの違いはあれ人単体では機能も知識も足りないので、他から情報を取り入れて理解の材料にしている。そこに虚構が入る隙があるのだが、自分が生きる集団について、また自分のことすら全てを把握することは不可能なので、むしろ積極的に虚構や仮定を事実ということにして受け入れてもいる。虚構と事実は恣意的なものと自然に起きたものという意味では違うが、人間の意識上では互いに侵犯し合うものであり、どちらも重要なのだと思う。学ぶ、知るというのは虚構と事実を切り分けることでもあり、まだ切り分けられないものを未確定のまま保ち続けることもまた、知的な態度であると思う。
生きている間に目にするものは、時間的に見ると全てが途中だが、空間的に見ると全て結果として完成している。例えば写真は一枚で完結しているが、被写体が日常的な場合は「明らかに過去である」という意識が働き易く、時間的な情緒をもたらしてくることもあるし、いつどこかがわからない場合は、永遠の時が流れる異世界のように思われることもある。動画ではこうはいかない。静止画に感じる時間は観察者の頭の中でだけ流れている。また日々の生活では常に写真として世界を見ているわけではない。認識の仕方には時間と空間の他、観察者自身の物差しが持ち込まれ、他者、物と自分の関係性が測られる。欲望や願望や期待や目的など個人的な物差しにより、時空や因果とは別に物事を捉えたり評価したりしている。
個人的な物差しについて細かく見ていくとキリがないが、個人の行動を決めたり、その人らしさの根っこにあるのは、何かを求める気持ちだ。欲望と願望の違いについて調べてみたら、欲望とは「欲しがる心。不足を感じて、これを満たそうと望む心。」願望とは「願ってその実現を望むこと。こうあってほしいと望む心。」ということであった。欲望は自力で事実に介入しようとする意志を感じるし、願望は自力だけでは難しいが望ましい環境を実現しようとする意志を感じる。不足の自覚は欲望の方が強く、願望の方は不足より+αを求める印象がある。基本的には足りているが、もうちょっとこれがこうなったらいいな、みたいなものだ。試しに自分の欲望や願望の回想をしてみたら、すぐに1500字位の文章が出てきた。しかも結論はない。更にコントロールについて書いたら、また同じ位出てくるだろう。何を望むかというのも、キリがない話題なのかもしれない。とりあえず、求めないことを基本にしたら日常は穏やかになるということ、不足や不便をそのまま肯定して楽しむ方法があること、そして死ななくていい、とだけ書いておく。
個人の想定を超えてくる自然とどう向き合うのか、どう共存するのかといえば、自分と異なる他者との協力が必要である。他者と自分が異なっているのは自然の結果であって、違っているから素晴らしいわけではない。最近私が仕事でお世話になっている、便利屋を営む駒村さんという人がいる。彼のSNSの自己紹介には「できない事以外はなんでもできます!」と書いてある。これは当たり前のようだが、「そうか、自分もできない事以外はなんでもできるんだな」と思える言葉である。全ての人が違っている以上、できない事とできる事も違っている。そこを突き合わせて考えることで、できない事は少なくなっていく筈だ。また駒村さんとの仕事はストレスがゼロであり、これからも宜しくお願いします。
-困ったら、こまむら (@benriya777) · Twitter
社会で生きていく上でぶち当たる問題の対応もしなければならない。鳥取で汽水空港という本屋を営むモリテツヤさんは、「困りごとを解決するのが政治」として「WHOLE CRISIS CATALOGをつくる」という活動をされている。これは政治に向けての活動だが、思想信条が異なる人であっても「困りごと」というテーマを設けることで、同じテーブルにつける可能性を感じさせてくれる。自己完結していても何も解決はしないわけで、他者との交流の場を作り続けるモリさんの活動を支持していきたい。汽水空港で本を買ったら、野菜の種が付いてきて嬉しかったです。
-モリテツヤ (@kisuiairline) · Twitter
-困りごとから政治を考える
私の個人的な活動としては「もう付き合ってる」というマッチングの管理人をしている。15年来の友人の山下陽光さんの発案で始めた「ダメなところ」で繋がるサービスだ。とはいえ専用アプリがあるわけでもなく、管理人が時間のある時に勝手にマッチングしてるだけで無料である。パートナーを探していない人でも、自分の周囲にいないタイプの友達が作りたかったらきっかけにはなると思う。まだまだ人は少ないが、自分の知らないところで面白い繋がりができたらいいなと思う。
-「もう付き合ってる」紹介
権威主義や家父長制などの社会の悪習を否定し「自然としての命の価値は皆同じ」と本気で思えさえすれば死なずに済む。自然で死ぬのは仕方がないが、権力に殺されるのはまっぴらごめんである。ただ幸せに生きていく為にゆるく繋がっていきたい。