ってね。
そしてここからすごい論点を持ってくる人がいる。一部の人は、"Chinese Virus"とか「武漢ウィルス」っていうのが気にくわないらしい。
コアは「人種差別」だ。
正直その名前に対して「ウィルスが発生した場所がそこだった以上のものはない」としか思えない自分にとっては、多様性に関するところの良い教材である。
はっきり言って、ヨーロッパの人間からしたらアジア系の見分けなんてつかないし名称に関係なく、差別するというのは正直多少は仕様のない部分があると思っている。たぶん自分は、ヨーロッパで感染症が流行った時にその見た目の人に対して「少なくとも」『あ、そういえば流行病があったな』となるし、「多かれ少なかれ」避けるところまではする。道を聞かれた時には答えるし、それで出て行け、とか暴言を吐いたり直接迫害するようなことはしない。でもその気持ちは間違いなく振る舞いの中に無意識に組み込まれる。
こうして僕は、注意や自衛と迫害の間に一本の線を引いている。でも誰も誰もができることかと言われたら、それはきっと難しい。だから、仕方ない部分はあるのかなと頭の文に戻ってくるわけだ。
で、ここからは個人的な好き嫌いになってくる。
所詮ツイッターだけど、大学で学んでいるいい年した人間がさ、トランプ大統領がChinese Virusって名付けてる!差別を助長させる!っていったりそういうツイートにいいねしてたりするのを見てるととても反感を覚えてしまう。
中国高官が「アメリカ軍が引き起こしたウィルスの可能性がある」ってプロパガンダに対する強調のカウンターじゃないのか?
地名でウィルス名を名付けるというラベルは、風土病かもしれないし発生場所について、誰もが考えるきっかけにもなるんじゃないか?
「中国で起こったウィルスにChinese Virusと名付けるのが人種差別を助長する」という主張は、スペイン風邪があったからそれをネタにスペイン人をバカにして接する人間のそれじゃないか?自分たちが差別をしているのを意識できてないだけでは?
所詮ツイッターだから、その時その時の気持ちでいいねをするのはわかるし、自分もそうしてる。そして、きっと自分がこうして理解しても悩んでいる一方で「それでも違うんだ」って思っている人もいる。もちろん、それに反感を持っても反対まではできない。。。と考えたところで、自分は理解と納得の間に、どうしようもない隔たりを感じた。そこを渡るためには、きっと途方もない時間がいる。
線引きは主観でしかないし、そうである限り誰かの意見とぶつかりながら自分はこうしてずっと考え続けるのだろう。この記事も一つの主観として、誰かの参考になればいいと思いました。以上。