「やすやすっ」
今日の進捗をTrelloで共有し終えたところで、背後から声を掛けられた。
「……みずみず」
振り返るとそこには、人好きのする笑顔。
優秀なマーケターであり、頼れるCMOであり、そして……私が秘めたる想いを抱いている相手だった。
※この物語はフィクションです。実際の人物・団体等には一切関係がありません。
私たちは今、ELIS(エリス)というプロジェクトを推し進めている。
ブロックチェーン技術を活かし、信頼性の高い情報・人が適正な報酬を得られ、広告記事、ステルスマーケティング、フェイクニュースなどから人々を解放することが目的だ。
因みにやすやす、みずみずというくだけた愛称は、目の前のみずみず──CMOの水川(みずかわ)が考案したものだった。
流石に普段からそう呼び合っているわけではないが、こうして二人の時には時折冗談混じりで使う。
この愛称で呼び合うのは、私と水川だけだ。
私たちだけのルール。そんな些細なことでも少しだけ彼の「特別」になれた気がして、喜びを感じてしまう自分がいた。我ながら単純であると思う。
「ん? なんかついてる?」
などと考えているうちに図らずもじっと見つめてしまっていたのか、彼が怪訝そうな顔をする。
「あ、いや……今日の進捗をTwitterに投稿しようかなと」
「ああ、そうだった、やりますよ。ちょっと待ってくださいね、と」
咄嗟に口をついた言い訳にもならぬ言い訳にも疑問を持つことなく、彼は振り返って自分のPCを操作する。
時刻は二十二時。オフィスには私と彼しかいない。
彼がキーを打つカタカタという打鍵音だけが静かなオフィスに響いている。
窮屈そうに丸められた、大きな背中。
つくづく、自分は水川に護られていると思う。
彼自身の能力の高さは言わずもがな、メンバーが衝突したり、何かトラブルが起こった時、最後に解決するのは水川の笑顔だった。その大きな背中と、屈託のない笑顔に幾度となく護られ、救われた。
そうして日々を過ごすうちに、気付けば私は彼のことばかり考えていた。自分の想いを自覚した時には、もはや私は抜け出すことのできない深みにいた。どうしようもないほど彼に惹かれていたのだ。
私にとって、いや、ELISというこのプロジェクトにとっても、水川は太陽のような男だ。
ELISという根を張り、枝葉を伸ばそうとする私が、陽の光を求めてしまうのは必然だった。
私は大きな背中に向けて、そっと手を伸ばしてみた。
あと少し、指先を伸ばすだけで触れることができる。
……だが、その数センチが届かない。
煌々と輝く太陽は、およそ一億五千万キロメートルも離れているという。
私たちを隔てる数センチの距離はしかし、それ以上に遠かった。
「……っと、終わりましとぅわっ!?」
すぐ近くにいた私に驚いたのだろう、振り返った彼が大袈裟に飛び上がる。
「近! ちっかいですよもう!」
「はは、びっくりした?」
私は今、ちゃんと笑えているだろうか。
まるで向日葵だ。私は思った。
陽の光を全身で追い求めるが、決して触れることは叶わない。
分かっていながら、私はこの想いを消すことはできないのだった。
しかし私はこうも思うのだ。
手が届いてしまったら、それはもはや太陽でなくなってしまうかもしれない。
私の余計な想いがELISの空を曇らせてしまうかもしれない。
……ならば、これでいい。このままでいい。私は私に蓋をする。
ただ、太陽でいてくれれば。私の想いなど微塵も気付かぬまま。
「……さあ、そろそろ上がろうか」
そして今日も、夜は私たちを引き裂いていった。
(了)
※この物語はフィクションです。実際の人物・団体等には一切関係がありません。
※この物語はフィクションです。実際の人物・団体等には一切関係がありません。
※この物語はフィクションです。実際の人物・団体等には一切関係がありません。
・・・・・・
・・・・
・・・