日本史、勉強不足の自分は、酒田に行くまで、「北前船」という言葉も知らなかった。
「酒田」っていう地名からも何も想像できないくらい酒田を知らなかった。
去年、こすもすさんが、即身仏についての記事を投稿していたのを見たとき、
あー、自分も即身仏見に行った記事投稿しないと、と思っているうちに一年近く経ってしまった。
というわけで、去年の6月に行った酒田のことを紹介します。
その時は、歴史好きの友人に誘ってもらっての旅で、酒田について知らないまま行った。
最初に向かったお寺の名前を見て、ん?!と思った。
海向寺・・・見覚えのある寺の名前だ・・・
あ、即身仏のいる寺?!
子供の頃、漫画付きの学研の本で、即身仏については読んだことがあって、いったいどういうことなのか、凄く興味沸いたし、京都にあるらしい・・・というのは憶えていた。しかし、山形にたくさんある(いる?)とは知らなかった。
山形に8体あり、海向寺には2体ある。
1寺2体はここだけ。
なんで山形、庄内に多いかというと、湯殿山信仰と関係ある。
1641年に羽黒山が天台宗に統一されて以降、出羽三山では天台宗と真言宗の対立が深まった。徳川幕府の公認を得て巨大な勢力となった天台宗に対して、真言宗側は寺社奉行に訴訟を起こして、「三山のうち、羽黒山・月山は天台の山、湯殿山は真言の山」という裁定を得た。
即身仏となったのは一代限りの修行者を意味する一世行人(いっせいぎょうにん)で、門前集落の出身ではなく、外部から来た下層の宗教者である。真言宗側は、湯殿山で一世行人を修行させることで宗教的能力を体得させ、布教の前線で活動させて天台宗に対抗した。江戸時代に庄内地方で数多くの即身仏が生み出された背景には、この対立が影響している。→「即身仏:厳しい修行の果てに涅槃(ねはん)を目指したミイラ仏」参照
この左の建物に即身仏が祀られていて、即身仏についてのパネルもある。
拝観した時、他の拝観者と一緒に並んで座り、お寺の人の案内を聞いて、拝観した。
即身仏を間近で見ることができる。
人間の死体とは思えない感じ。
よく磨かれた木の彫刻のようというか・・・固そうだし光ってる。
人間より、仏像に近い、けれど、仏像っていうのは、人間の理想に彫られているんだなぁ・・・やはり人間は仏像にはなれない。
けれど即身仏は、普通に死んだ人間とは違って、やはり単なる遺体を超えてる。
色々と気になることあり、聞いてみたけれど、よくわからなかった。
聞いてみてもわからないっていうこと(説明する側もわからない)は多い。
それにしても、あんまりジロジロ見ていいものかと思えてくる。
死骸っちゃあ死骸じゃん???
誰かの裸でも見ているようというか、お葬式でも、亡骸ってそんなに見ちゃいけないような気がするのだが。
即身仏になった僧は、即身仏を見ている私たちをどこかから見ている、そんな感じがする。
お堂の方をぐるっと見てから、海向寺の前の道に出る。
映画「おくりびと」(見てないのだが)に出てきたという、料亭跡(跡であり、改装されて、映画で出てきた扉がここにあったというパネルがあった)がある。
少し進むと、日枝神社があった。
山王鳥居。
大きいのだけれど、ぼろぼろ・・・
彫刻が変わっていた。
神社の前を通り過ぎて左側には、見晴らしのいい公園がある。
とはいえ、薄曇りで(写真モノクロですw)、なんだか寂しい~~~~感じで、
ここがかつて北前船で賑わったところか!とか、見晴らしいい!っていう気分にはならず、引き返した。
(酒田の観光話、続く)