翌日最初に向かったのは、高山寺。
こちらも、こすもすトラベルで見て、気になっていたところ。
バスを降りてちょっと上がったら、すぐに高山寺に到着。
入る前に、母がトイレに行きたいと言って、すぐそばにあったトイレに行ったら、驚愕の和式古式トイレだったとのことだった。
高山寺は鳥獣戯画で有名。ここに来る前に、鳥獣戯画は上野での展覧会でじっくり見ていた。展覧会では、鳥獣戯画グッズを買う人たちが長蛇の列をなしていたが、ここだったらすぐ買えるね。
ここは凄い湿気だから、鳥獣戯画自体は明治時代に京都博物館行きになったと、こちらの人が教えてくれた。
自分たちが着いたときは9時台で、他に人と言えば、プロのカメラマンが撮影しているくらいだった。あと手伝いの人。
ここが、こすもすトラベルでみたところか!
正面はこんな感じ。安倍文殊院の善財童子像とはまたずいぶん顔違う。
独特のデザイン。綺麗。
この風通しのいい雰囲気(冬寒いか・・・)伝わるかな・・・
明恵上人が子供の頃飼っていた犬を模したという子犬の像、表情も尻尾も絶妙に可愛らしい。
グッズコーナーにこれを模した置物あったが、どれも違う。表情似てなかった。
石水院の天井変わってるなと思って聞いたら、高野槇という木で、元は屋根の上側に使うものを内側に使っている珍しい天井だそうで、千年経っているのですって。
裏山まで買い取って、視界の風景買い占めていた、足立美術館を思い出した。ここも、風景全部独り占めという感じだ。
お寺の人に気になることを質問すると色々と答えてくれた。
二つの建物の間にある渡り廊下も、混んでるシーズンには人がぎっしりらしい。
外に丸いけれど花梨のようなものがあったので、聞いてみたら、丸い花梨ということだった。丸い花梨は珍しいような。
外に出てすぐ目に入った石碑。
高山寺には日本最古の茶畑がある。栄西が宋から持ち帰った茶の種を明恵がもらって、ここで育てたそう。茶が眠気防止に役立つということで、修行中の僧に勧めたって。今仕事の合間にお茶飲めるのも、明恵上人のおかげなわけだ。
高山寺は明恵上人のお寺。
明恵上人(1173~1232)は8歳で両親を亡くし、高雄山神護寺の文覚について出家し、東大寺で華厳、勧修寺で密教を伝授され、1206年に高山寺を開いた。
若い時に、求道の思いから右耳を切り落としたり、インドにも行こうとしたらしい。
(高山寺のサイト参照)
お酒飲んじゃダメってことかね、ここで。いつ置かれたのだろう・・・
階段を上ってみると、その先に、明恵上人の御廟がある。
気持ちのいい場所で眠ってるのだなぁ。
まだ新しい、仏足石があった。
自然が程よく、派手でも地味でもない。
ぐるっと回って降りてきたら、石水院の屋根が見えた。
高い木がいっぱいで、他に余計なものがないのが良かった。
高山寺を出て、バスで来た道を戻っていく。
もうすぐかな・・・
存在感ある灯篭。
少し上ったところに、西明寺があった。
824~834年に弘法大師の弟子の智泉が神護寺の別院として開創とある。
1290年に神護寺から独立。
ここに自分が来た目的は、将軍綱吉の母、桂昌院が寄進した本堂の中にある、ご本尊。釈迦如以来立像を見たかったから。
清凉寺の釈迦如来像を模して造った像で、こちらの像は51センチの高さの小像とある。
前の年の同じ時期にも京都に来て、清凉寺に行ったのだった。
清凉寺の釈迦如来像がとても気に入ったので、こちらのも気になったわけ。
人いない。
右側を見ると
聖天堂のお賽銭箱の近くにお守りが並べてあった。
倍返りのお守り、とあった。使った分の倍、返ってくるのだって!(いただいて、初穂料は賽銭箱に入れた)
1700年に建てられたという本堂の方へ行き、ご本尊を拝ませてもらおうと思ったが、人がいない・・・
社務所の方などうろうろしていたら、後から元気なお年寄り男性が二人やってきて、社務所の人を探していた。
やっとお寺の方が現れた。そのお年寄りは、御朱印を頼みたかったようで。
自分は、ご本尊を拝ませてもらったのだが、これまた不思議な像だった。
頭部はまるっこく大きめで、下に、すらーっとした体があるのだが、確かに、清凉寺の像と衣装の感じが似ている。
目が細くて、瞼の間に、小さく瞳が見えて・・・・
じーーーーーーっと、しばらく眺めていたら、その瞳が、キラキラ光り出して見えた。
え!
像に生気が感じられたというか・・・
後からも、ぽつぽつと人がやってきた。
質素な感じのお寺だったが、ホームページは結構豪華というか、詳しく解説がある。
続いて神護寺に行くのだが、記事長すぎるので、次記事で。