世界の宗教的教えはすべて負債という観念を基盤としている。ーーあなたは神に対して負債を負っている。その負債をこの世で返済しなければならないーーというわけだ。それがカルマや原罪といった言葉の真の意味である。
ただし例外がひとつだけある。神道だ。神道では、人は「神の分け御霊」とされている。そこでは人は本質的に神と一体である。一体である以上、そこには負債という観念はない。あるのは神と一体であるという絶対的な歓喜だけである。
そしてそこには負債観念にもとづく支配ー被支配という概念、すなわち人を奴隷として働かせるという考え方もない。神はもちろん他人もまた自分と一体なのだから当然であろう。日本において「社畜」という言葉が怒りの対象にではなく、自嘲の対象にしかならないのは、奴隷支配という概念に現実味がないからともいえるだろう。
しかし、このことは一部の人が憂うるほど悪いことではない。それは日本文明の特異性からくるものであり、そのような日本文明にこそ今の行き詰まったユダヤ・キリスト教文明に取って代われる可能性があることを示すものだからである。
ユダヤ教的負債観念に基礎を置く現在の経済システムの行き詰まりを打破する突破口となりうるのもやはり日本文明なのではないだろうか?