はじめは航海士を目指す人向けに、最も基礎となる知識とは何か?という問いに対する、僕なりの答えを書こうと思っていました。
それは本当に基本的な知識ですので、航海士を目指す人にはもちろん、船乗りとは関係ない人にとっても興味をひくものになると思ったからです。(ちなみにその問いに対する僕なりの答えは、「地球は公転面に対し23,4度地軸を傾けている」ということだと思う。もちろん反論もあろう。そもそも僕は教官でもないし、とびぬけて優秀な訓練生というわけでもなかった。だからあくまで「僕なりの」ということになる。だが、この知識によって、貿易風が説明でき、海流が説明でき、高気圧や、地球にはなぜ中緯度地域に砂漠があるのかが説明でき、季節の移り変わりが説明できる。そして、天測によって北極星や太陽から位置を求めることができる。ややこじつけだが、自転からジャイロコンパスが北を指す理由も説明できる)
だが、それはまた今度にします。今回はその中の「天測航海」という部分に絞って記事を書こうと思います。
正確には、古典的航海術、ということになろうかと。
というのも、僕は歴史が好きだった(ちょっと唐突だが、あきれずに最後まで聞いてほしい)。訓練生時代には航海当直の合間に時間をみつけては練習船に収蔵されている本をーーたいていは分厚いほこりをかぶった古い本だーー読み漁ったものでした。それは超人的な大航海を成し遂げたヨットマンのエピソードであったり、偉大なーーそして先住民にとっては悲劇そのものでしかなかったーー大航海時代の英雄譚でした。その中で僕が興味を持ったもののひとつが、古典的航海術というわけでした。
原始的なカヌーしか持たないポリネシア人はどうやって島々を渡っていたのか。数か月にわたり夜のこない極地を探検するヴァイキングたちは、どうやって自身の位置を割り出していたのか。
古典的航海術について体系的にまとめられた本は残念ながらありませんでした。けれど、僕は天測航海の教本の隅っこのほうに、申し訳なさそうに挿絵付きで記されている古代の航海術を見つけるために何冊もの天測教本を読んだものです。(そういう不真面目な態度だったため僕自身の天測の技術は一向に上達しなかったが)そうして少しずつ古典的航海術に関する知識を増やしていきました。
だが、今こうして当時の知識を振り返ってみると曖昧になっている部分も多いし、そして、久しぶりにそれらの本を読み返したいと思ってもタイトルが思い出せないのです。たしか、「天測の基礎」だとか、「天測航海入門」だとか、「はじめての天測」とかいう、恐ろしくつまらないタイトルの本だったと思うのですが。。。当然検索にも引っかからない。たとえ検索されても、新しく改版された本にはそのような「無駄な」知識は載っていない。どこの図書館にあるかもわからない。ブックオフでも買えないし、電子書籍化もされていない(そして今後もされることはないでしょう)
インターネットでかつて見つけた数少ないサイトのいくつかは閉鎖されてしまいました(もしくは検索の海の底深くに沈んでしまい見つけることができないのだろう。以前は「魔法のひょうたん」というポリネシア人が使っていた、目的の島の位置を記した海図を兼ねた航海計器についてのホームページがあったはずだが、今は「魔法のひょうたん」と僕の端末で検索をかけると同名の絵本が上位数十件にわたって表示される。ーーもちろんその絵本に非難されるべきところは何一つない。なかなか素敵そうな本だ)
海外ではまだいくつかのサイトが残っていた。(というよりなかなかに盛んだ)ハワイでは、住民たちのアイデンティティのよりどころとして、失われつつあった先祖たちの技法をーーその最後の一人から!--学び、復活させ、実際に航海を行った。(技術を学ぶことを通して、島の若者たちが自分たちの歴史に理解を深めていく様子は、その航海の困難さともあいまってなかなかに感動的なものだった)
北欧ではヴァイキングの航海法を研究する歴史学者や人類学者たちが大勢いる。
だが。日本ではほとんど絶滅の危機に瀕している知識だといえます。
ここで僕が直面した問題は、まさしく検索による支配とでもいうべき、次の時代に僕たちを抑圧する仕組みだと思うのです。(便利さのために検索履歴という名のプライバシーを売り渡し、無限に増えてしまった情報の中から親切にもあなたに「最適な」情報を取捨選択して提示してくれる検索エンジン。だが。人間が自由に生きる、ということに比べたら便利さなんてものがいったい何だってんだろう?20世紀に権力によって抑圧された自由は、21世紀には便利さと生存競争を繰り広げなくてはならなくなったわけだ)
つまり、検索されない情報は、存在しないものと同じになってしまう。にもかかわらずその検索エンジンが一体どのような法則によって検索を行っているのかは、我々のまったく知らないところで、まったく知らない誰かによって決められている。そしてぼくたちにはほとんど選択肢はない。せいぜいgoogleが嫌ならYahooを使う、という程度だ。(しかし結局のところ検索される情報は似通ったものとなる)
僕たちに(そして次の世代にも)必要となるのは、大企業ーーもしくは国家など、特定の集団が営利目的や政治的目的のために「管理」するーーによって提供された検索エンジン以外の、本当に「自分に」必要な情報を手に入れられる、今とは違った、情報へアクセスする手段を確立することだと思うのです。
そしてもう一つは、情報を繋ぐこと。
たとえば、今回の例でいえば天測教本などという大変に需要の少ない本の、それもコラムだとか、息抜きのための数ページにしか記載されない知識などは、まさしく検索の脅威にさらされているのです。検索されず、現代の教本にも記載されない。本自体もほとんどが絶版になっているような本ばかり。僕や読者の方々のほとんどよりも、はるかに長生きしているような本たち。遠くない未来に寿命を迎えるでしょう。
電子書籍化の過渡期である僕たちの時代には、このような紙媒体と、検索エンジンのはざまで消えゆく運命にある知識はかなりの量になるはずです。
そういった知識を生き永らえさせるという意味でも、ここに古典的航海術、という記事を一つ書くことは少なからず意義があると思うのです。
もっとも、だれも興味をもたなければ結局埋もれていってしまうことには変わりはないですが。
なので読者の方々が読んで面白かった、とちょっとでも思えるように書くことができればいいなと思います(自信はないけれど、もし少しでもそう思ってくれたならば僕としてはとても嬉しい)
では、前置きが長くなりましたが、実際の使い方と理屈を合わせてみていきましょう。
ポリネシアの航海計器
「魔法のひょうたん」
あなたはどこにいる?そう聞かれたときにあなたはどうやって答えるだろうか。
そこへはどうやっていけばいい?と聞かれたときにあなたはどう答えるだろうか。
「山手線で3駅」かもしれないし、高速で1時間、と答えるかもしれない。北に10キロともいえるし、あきらめて、渋谷駅で待ち合わせしようぜ、とするかもしれない。だが、まあ緯度経度で表す人はいないでしょう。
これは実に優れた計器で、このひょうたん(実際にはなんでもいい。ココナッツだっていい)は目的地の場所を記録した海図でもあり、緯度を表す計器でもあります。
電池も必要ないし、GPSに対する妨害電波の影響も受けない。多少乱暴に扱ったところで壊れないし、水にぬれても構わない。
これは実に単純な、(そして古典的航海においてもっとも重要な)原理を利用したものです。
それは、「自分自身の緯度と北極星を見上げる角度は常に等しい」ということです。
どういうことか。もっとも分かりやすい具体例を挙げると、あなたが北緯90度の地点にいるとする。そこは北極点である。そして北極点に立って夜空を見上げた時、北極星はあなたの頭上(地平線を0度としたとき真上、つまり90度)にある。理由は簡単で、北極星とは地球の地軸の延長線上にあり、地球の回転軸はあなたの足元から伸び、あなたの頭上へと無限に続いているからだ。
逆に緯度0度、つまり赤道上にあなたがいるときーーその時あなたの頭上には赤道が通っているともいえるーー北極星は水平線と等しくなります。なぜならば、あなたが見通せる範囲は、水平線までで、赤道上において水平線と地軸は平行になるからです。(もっとも、現実には地球や、そのある地点で観測を行うあなた自身にも高さがあるし、大気の気温差などで蜃気楼のように見通し距離は変化するため各種補正が必要になるが)
このように北極星は単に北がどちらにあるかを示すだけでなく、緯度を知るためにも使えます。
つまり、大冒険の果てにとある島へたどり着いたのち、冒険者であるあなたは発見の航海でなく、移住のための航海を行う。
そのために、到着した地点でひょうたん(何度も繰り返すがもちろんココナッツでも構わない。何でもいいのだ)に2つ穴をあける。ひょうたんの中に水を張り、水平を保つ。しかるのちに、さらに2つ穴をあける。水平を保ったひょうたんから、北極星を見通せる通し穴を2つ、というわけです。
あとは次の航海で、目的の緯度に到着するまでーー目的の緯度に達したかは、ひょうたんから見通す穴に北極星を捕らえたかで判断できる。北極星が穴より下にあればさらに北へ行き、穴より上にあれば南へ行くーーひたすらに北上なり南下をし、そののちに東か西へと進めば再び同じ島へとたどり着けるわけです。
ヴァイキングの航海計器
「太陽コンパス」もしくは「太陽盤」
北欧のヴァイキングたちは航海上において一つの困難に直面することになりました。それは極地においては白夜があり、その時期は航海において最も重要な指標である北極星を使うことができないということです。(北極星は2等星で、あまり目立つ星ではない)
もっともこのコンパスの存在は70年ほど前(だったはず)にグリーンランドの遺跡から発見された遺物ーー最初は装飾品と考えられていたーーから知られることとなったものです。使い方は様々なことが書かれているが本当のところはわからない。
伝承を読む限り、ヴァイキングの航法は基本的に海岸線の目標に頼ったものでした。しかし、陸がしばらくのあいだ見えない航海も行ったことが知られています(彼らはグリーンランドや北米大陸にさえ到達していた)。そして彼らは、明確に緯度を把握していたことがわかっています。つまり、先のポリネシア人と同じく、ある緯度まで北上あるいは南下して、しかるのちに東西いずれかの方角へ進むという航法です。
そこで緯度を知るために、彼らは自身の出発地(あるいは目的地)で観測される太陽を見上げる高さーー正確には太陽が作る影の長さをーーを円盤に記録し、その影の長さを自身の出発地と比べて、どれだけ母港と緯度がずれているかを把握していたのではないか、という説です。
そして目的地の緯度において、東西に正確に進むために、太陽コンパスを用いた、、、かどうかは意見がわかれるところでしょう。原理としてはどちらも同じものですし、正しい緯度で進んでいれば、太陽盤に刻む影からーー日時計のようにーー正しい方位を知ることができますし、逆もまたしかりだからです。今となってはもはや確かめるすべもないですが。もっとも反論はいくらでもできます。そもそも揺れる船上で実際にそんな観測ができたのか、ということが最大の難点になるでしょう。
また、彼らは「太陽石」という石を用いて、曇天時や日没後(日出前)でも太陽の方角を知ることができた、という言い伝えがあります。これについてはたくさんの資料を容易に見つけることができますのでーーしかしながらこれもまた仮説であるーーここでは割愛します。気になる方は参考までに。
イスラム商人の航海計器
「カマール」
先のポリネシア人のひょうたんと同じ原理を利用したものです。もっともこちらは水平を取るのがより容易であり、いくつもの目的地の緯度を記録できるという利点がありました。次に述べるジャコッブ・スタッフとともに水平線から星に目を移した時に顔の位置が動くことにより大きな誤差を生むという難点がありました。
カマールのアイデアを応用
「ジャコッブ・スタッフ」
これはカマールのアイデアをもとにヨーロッパで発明されたものです。目の下に棒をあて、縦棒の下端を水平線に合わせる。そして上端で星や太陽を見通した時の角度を、横棒から読み取ることで高度がわかるというしろものです。こちらはカマールとは違って任意の角度がわかるという点でさらに優れていました。
占星術からの応用
「航海用アストロラーベ」
占星術師が使ったアストロラーベから、角度の観測以外のあらゆる機能をそぎ落とし航海用に用いたものです。アストロラーベの発明に比べ、この道具が航海用に用いられたのは中世ごろとかなり遅れましたが、かなりの精度で角度を測ることができました。ただ、精度の向上と比例して、揺れる船上で観測を行うことによる誤差が無視できないものとなってくる、という問題が顕在化することとなります。
もっとも単純。300円もあればあなたにも作れる。
「四分儀」
我々の感覚に最も近いものではないでしょうか。まあ要するに半分に切った分度器におもりをつけてその目盛りを読む、というものです。(もっとも、分度器の制作自体は少々コツがいりますが。これは定規とコンパスで作ることは不可能で、もしあなたが自作しようと思ってインターネットを探しまわったところで、結果にはこう表示されるだけでしょう。「このページの分度器を印刷し、拡大縮小して貼り付けてください」と。もし本当にゼロから作りたければ、ある円の外周に紐を巻き付けて、それを伸ばし直線にする。しかるのちに360分割するのがよいでしょう)
どこでも持ち運びでき、いつでも使える。
「あなたの体」
あなたの体も観測機器として使える。まっすぐに腕を伸ばしてほしい。そしてあなたの握りこぶしひとつでだいたい10度。指一本分が2度。親指と人差し指を開いた角度が15度。おそらく最古の観測機器のはずです。
古典、近代、現代、そして宇宙での航法にも使用される観測機器の完成形
「六分儀」
ニュートンら当時の名だたる科学者によって開発されたこの観測機器は、もっとも完成された航海機器のひとつで現在でも現役で使用されています。外国航路の商船では大洋中における唯一の位置測定機器であるGPSが故障ーーもしくは妨害により正常な作動を行わなくなることもあるーーした時に、バックアップとしても用いられていますし、アポロ計画で月への航法ーー当然、緯度経度で表せないので地上とは別の航法が必要となるーーでもバックアップとして用いられました。現在でも他の惑星へのナビゲーションでも使用されていますようです(もっとも僕が教育を受けたのは洋上におけるナビゲーションで、宇宙における航法の説明を調べてもよく分からなかったが。。。仕組みとしては後で述べる月距法と似ているように思うのだが、どうだろう)
経度との戦い
以下は古典的航海術、とは少々違いますが、ついでに。古典的航海術と近代的航海術の違いはなにか、と尋ねられればそれは経度の問題を解決したかどうか、と答えます。どういうことか。
緯度を知ることは比較的容易でしたが、経度を知るためには正確な時計が必要だったため、天文的な工夫だけではなく機械工学的な進歩が必要だったということです。
経度の概念が紀元前に発見されてから約2000年にわたってこれを求めることは不可能でしたーー「経度を求める」とは不可能なことの比喩に用いられたくらいですーー。求め方自体はある基準点ーーどこでもかまわない。現在はグリニッジ天文台を基準にしているが、単なる歴史的な経緯でそうなっただけであり、まったく必然性はないーーの時間とあなたのいる地点の時間を比べればいいだけでとても単純なのですが、基準点の時間を知る方法が確立されなかったためです。(地球は球なので360度、これを24時間で回るので1時間で15度回っていることになる。グリニッジを0度として、日本標準時は東経135度。135÷15=9 よって日本はイギリスより9時間進んでいる。)
太陽の正中を知る(つまりあなたの時間での正午)方法はいくらでもあります。だが、かつての船乗りたちに比べなによりもあなたが有利な点は、正確な時計を持っているということです。クロノメーター(要するに時計)が発明されるまではこれが不可能だった。時計が発明されるまで最終的に経度の問題が解決されることはなかったのです(逆にいえば現代の我々のように精度の高い時計を持っていたとしたら、それだけ高い精度で経度を求めることができる)。
ちなみに、あなたの地点の正午(時間)を知る方法は簡単です。棒を地面に刺し、その影が一番短くなった時を観測すればいい。あなたの腕時計は日本標準時東経135度にセットされているはずなので、その差を取れば経度を簡単に求めることができます。
もし棒が2本あればなおよい。夜のうちに北極星を2本の線上に見通しておく。そして夜はぐっすりと眠り、昼になったら反対側から見通し、太陽がその線を通過した時間を測ればいい。2本の棒は正確に北に向いており、それを反対から見れば正確に南を知ることができます。そして、あなたの経度の真南を太陽が通過するとき、太陽高度はもっとも高くなるからです。
これによりあなたが、世界の海をめぐる大冒険の途中で、運悪く遭難し見ず知らずの孤島に漂着したとしても、緯度と経度は知ることができるわけです。北極星を使えば簡単だし、太陽の高度を使ってもよい。
おおよそクリスマスが冬至ということだけ覚えていればいい。クリスマスの3か月前が秋分の日で、その3か月前が夏至。そのさらに3か月前が春分の日となる。地球の軸は23.4度傾いているので、太陽は夏至の時に北緯23.4度の上を通り、冬至の時に南緯23.4度を通る。春分の日と秋分の日には、太陽は赤道の上を通ることになる。これさえ覚えておけばあとは簡易な観測機器(というかただの棒)であなたの緯度を求めることができます。(たとえば東京とだいたい同じ北緯35度にいたならば地面に突き立てた棒と、その影の作る辺の角度は55度になる。夏至ならば78.4度になり、冬至には31.6度になります)
もっとも経度に関する事実を我々の体はよく理解している。(時差ボケという形で)
あなたが毎日必ず正午に目覚めるとする。寝ている間に飛行機で経度15度分東へ連れ去られる。あなたが、その地点で目覚めたとき、現地時間はすでに13時になっている。あなたは現在地が15度東であると知ることができる(もっとも、よほど体内時計に自信がない限りは自分が1時間寝坊したと考えるのが普通ですが)。これはある基準時の時間を、体内時計という形で持ち出して、現地の時間と比べることで経度の差を知ることができたわけですが、(渡り鳥が迷うことなくはるかかなたの土地を旅することができるのは、彼らが非常に正確な体内時計を持ち合わせているからだといわれている)この時計の持ち出しをクロノメーターでおこなったというわけです。
中世の人々は世界中に船を浮かべ、基準点が正午に打ち鳴らす号砲を、各船が中継していくことで基準点の時間を持ち出そうとさえしたようです。冗談のような話ですが、当時の人たちは本気だったようです。それほどこの問題は深刻だったのです。
これは僕の考えですが、もし現代文明が崩壊し、知識だけが残されたとしたら次の世代の航海士たちは時計の発明を待たないでしょう。機械的にあまりに複雑だからです。それよりも、ラジオを作るはずです。ラジオにより基準時の時間を常時受信することができれば経度問題は解決です。昔懐かしい鉱石ラジオを作れば電源もいらないし(鉱石ラジオは受信した電波自身によって作動する)、作ることも簡単だからです。(戦時中の捕虜収容所では実に独創的な工作がなされた。チューナーはたばこの箱の内張のアルミ箔と新聞紙で代用し、イヤフォンは釘の芯に電線を巻き付け端から磁石を挿入したものに、その振動で缶詰を叩かせることで音を出させた。整流回路に用いる黄鉄鉱は錆びたカミソリの刃や錆びた銅のコインで代用し、安全ピンと鉛筆を固定したものをカミソリに取り付けて接点となる場所を探せるように工夫がなされた)
月距法
経度の問題を最終的に解決したのは時計だったと述べましたが、実は同時期にもう一つの現実的な解決法が確立されました。それは機械の時計の代わりに、空に浮かぶ自然の時計を用いるというアイデアによるものでした。つまり、月です(月は27.3日の周期で地球の周りをまわり、1時間にだいたい0.5度移動する) 。当初は計算に数時間を要するという非実用的な手段だったこの方法も改良を重ねるうちに、熟練した航海士であれば数十分で経度を十分な精度で求められるようになっていた。(この方法で世界を一周したジョシュア・スローカム船長の冒険記が有名)この方法の原理は、月と太陽や、月の通り道付近にある恒星との角度を測り、基準地での時間を求めるという方法です。
わかりにくければこういうのはどうでしょう。
僕の訓練生時代の教官に電気担当がいました。電気の教官の趣味は漢詩の詩吟で、僕たちはよく聞かされたものでした。そして教官は、古典中国においては月というものが、遠く離れた愛し合う二人を結びつけるものだと力説していました。離れたところにいる二人が、同じ月を見上げることに思いを巡らせ気持ちを伝えあうのだ、と。実にロマンチックだったが、空手の達人で、殺しても死なない熊のような大男の教官が実習中に愛を語る姿はちょっとした見ものだった。まぁとにかくそれを詩に応用したのが漢詩で、航海に応用したものがこの方法と言えます。(ちなみにどうやっても殺せそうにないその教官は、残念ながらおととしがガンで死んでしまった)
ここでのミソは、遠く離れた二人が見上げている月の、太陽との距離は同じように観測できるということです。月と太陽の距離がある値になるとき、基準地でも同じように観測が行われ、それにより基準地の現在の時刻を知ることができる、というものです。
さて、これで天測航海の根本である緯度と経度について一通りまとめることができましたが、いかがだったでしょうか。
みなさんも生まれてからほぼ毎日、夜空を見てきたはずです。そこには残念ながらあまり意味も感慨もなかったのではないでしょうか。
この記事を読み終わったあとで、そっとパソコンの画面を閉じ、夜空を見上げてみる。その時あなたの目に、いつもの星や太陽がいつもと違った意味で映るようになっていたら、僕としてはとてもうれしい。
僕たちには知恵があり、自由がある。それさえ信じていれば、検索エンジンに選んでもらわなくったって、身の回りにあふれている些細なことからでさえたくさんの情報を手に入れることができるのです。かつて人間は星を観測する知恵だけで世界中の海を渡っていったのですから。