映画「スティーブ・ジョブズ」を観終わりました。
Amazonプライムで観ているのかな?という推測は当たっています。
隙間時間、疲れて消費しかできない時間。受け身の時間、一人の時間を使ってつなぎ合わせてみているのですね。
その中で記憶に残っているスティーブさんの言葉「ライバルに勝つことを至上としない。違う事を誇れ」
私はこの言葉を、そのまま賛成はしません。
確かに、何らかの問題の解決策が今までにない解決策であったり、問題の視点が独創的であったりすると、結果として皆と違うことになります。
また、自然は、多様化を「良し」とし、それによって外部環境がどのように変わろうとも、それに最もふさわしいものが生き残ってきました。生き残っている種は、賢い進化をしたから生き残っているのではなく、たまたま、今までの変化に耐え、繁栄することができる性質を持っていたんです。
その為、生き残る何かを残したいのであれば、複数のアプローチが必要です。
参考
クリプトエコノミクスで設計の前提が崩れた時の話
スマートコントラクトのコードは多様であるべきか否か
私はそうではなく、半歩先でも一歩先でも未来を見ていたいのです。そうすると他の人には理解できないものが出来上がるはずです。そうすると結果として皆と違うんです。
他人から理解されるという事は、どこかが相手の思考の範疇に収まっているという事です。
この図では積集合があります。できればAとB(自分と相手の思考の例え)を別々にしたい(=重なる部分をなくしたい)のです。
それは決して説明を不足するだとか、斬新で独創的な、悪目立ちを意味しません。そういうことをしているのであれば顧客との関係構築が上手くいかないはずです。ALISでいえば、ブログでいえば、単なる説明不足であり文章が下手なのです。
まともに考えただけでは行き着かない、他人が見ていない何かを見ていると、結果として人と違い、それが斬新であるほど理解の足掛かりである積集合は少なくなるんです。
実際に生み出すものは、利用者・消費者の半歩先を言っているのが一番良いようです。
今、繁栄しているサービスであっても、構想自体は昔にあり、行動しているものすらありました。しかし、顧客という社会か、そのサービスを支援する技術か。そのサービスが必要とされなかったのでしょう。
有り体に言えば、時代の先を行き過ぎた。
ですが、考えるのはどこでもできるはずです。10歩でも100歩でも先を言っていたいなぁというのが私の想いです。
ではでは
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