思春期くらいの頃は「天才」という言葉に敏感だった気がします。
自分は天才なのか、そうでないのか、疑心暗鬼の日々を過ごしていたというか……
いや、もちろん天才でないことに気づいていたのですが、天才でないとすると今やっている努力もすべて無駄になる気がして、それを認めるのが嫌で。
ウサギと亀の話は皆さん知っていると思いますがあれなんてまさにそんな話じゃないかと思っていました。
確かに一度目はうさぎが油断していたから勝てたけど、ゴール前で寝るなんて油断、次からは絶対にしない。いわばカメはまぐれで勝てただけなんですから。
多くの人はより効率的にできることを天才という。
普通の人が一週間かけて学ぶ内容を一時間で学びきれれば天才と呼ばれる。
ただ天才という言葉の定義を変えると世界が変わります。
新しい何かを創れる人を天才と考える。
新しく何かを創るにはほかの人とはそもそも見ているものが違う。
誰も見えていないパスコースが見えた。だからパスが出せた。
誰も見えていない事業の可能性が見えた。だから事業を起こせた。
誰も見えていない将来が見えた。だから一歩踏み出せた。
そういうのを本当の天才というのかもしれません。
他人とは違うものが見えている人が天才。
だとするならば人は皆天才なんだろうと、最近思います。
つまり他人というのを過去の自分ととらえる。
昨日までの自分なら見えなかったものが今日の自分には見える。
それならば簡単にできる気がしてきませんか?
メッシになれなくても天才にはなれる
そう考えると何の才能がない自分でも世の中わたっていける気がしています。