結果を求めるのはもうやめようかと思ってね。そりゃあ、やめられるかどうかは分かったもんじゃないけれど、とにかくやめることにするんだ。決断こそが大事じゃねえか。
だから目的とか計画とかそういう未来につながるあらゆるガラクタもみんなひとまとめにして投げ捨てちまうのさ。
ついでに言葉とかいう記号だか象徴だかなんだかわけの分からん得体のしれないやつも一束にまとめて火を放って全部きれいに白い灰になるまで燃しちまいたいところだがあんたとおいらの間にはほかには媒体がないようだから仕方ない、そのうちテレパシーでも使って直接魂のやり取りができるようになるまではこいつだけは後生大事に取っておくことにしようじゃないか。
言うまでもないことだが過去と呼ばれる心に刻まれた架空の印象も粉微塵に砕いてごっそり海に流してしまうとするさ。
さあこれで懐かしさも後悔も胸の痛みも湧き上がる希望ももはや一切感じずに今この瞬間に集中して生きていけるってもんだ。
あんたが本当に生きてるっていうんなら一瞬一瞬息をしてるはずだよな。ところがだ。おいらも含めて人間というやつは自分の呼吸さえ意識できないぼんくら野郎ばかりなんだから話にならねえ。自分のくその始末もできねえデクノボーばかりってことさ。
デクノボー同士がくっついてデクノボーを産み散らかして満てよ増やせよでちっぽけな青い水の惑星の表面にうようよと繁殖しちまったんだからまったく打つ手もねえ。
昨日がどうだから明日をどうするといったってナンにも始まりゃしないわけじゃねえか。
だからここには目的なんかいらないって言うのさ。ただ言葉が川となって流れて過ぎていく今現在のこの瞬間をきちんとあんたが味わってくれさえすれば他には何もいらねえってことよ。
おいらはヒマラヤの麓の安宿でベッドの上に寝転んで両手で構えた賢い電話のガラスの画面を両の親指で右に左に撫でてやってはこうして言霊をひり出しているわけだが、こいつがあんたに届くときにはあんたはどこで何をしていることだろうかね。
いやあんたがどこで何をしてるかなんてことはもちろんどうでもいいことさ。一つの孤独な魂が放つ切れ切れの伝言の、重さも感じられないほどにやせ衰えた薄べったい切なさの透明な塊が、ひょっとしてあんたの魂に少しばかりでも響くことになって、おいらの二つの目玉を濡らす優しい想像力を湛えた液体のひんやりとした感触を伝えてくれることがあるとしたら、それこそがこの薄ら暗い宇宙の虚無すれすれのあるかないかも容易には判断のつきかねる狂人の空想とも区別ができない、奇妙にねじくれた中にもすっきりと筋が通っていることを最後には認めざるを得ないこと間違いなしの、ダルマとかタオとかブラフマとかいうまったくありふれた平々凡々の、ただありのままを見るという尊い行為をそこに映し出してくれること請け合いってわけなんだからよ。
それでおれはあんたに言うのさ。いつもありがとよ。あんたのおかげでおれは今日も生きているのさ。いつまでこうして生きていけるかは分からんがそんなことは気にもかけずに生き続けてやろうじゃないか。
だからあんたも元気でな。未来も過去も忘れ去ってただ今日という日を生き続けようじゃないか。今この瞬間の刹那の中にこそ永遠の真実が隠されていることを思い出し続けてやろうじゃないか。そのゼロ・ブラスマイナス・アルファこそが生きるってことなんだからよ。