このシリーズは2003年の1月以来、何回にもわたって私のホームページとブログの両方に書き散らしてきたものです。今回はこれを(これでもw)短めに編集して ALIS に公開し直すことにしました。
昨年2月にハワイ島に行ってきたのですが、滞在していたホテルのトイレがウォシュレットではなかったのがちょっと辛かったです。
もちろん日本のトイレがほとんどウォシュレットになったわけではないので、日本にいても日常生活でウォシュレット以外のトイレに当たることもあります。しかし、日本では、この20~30年以内に建ったビルや家ならかなりのトイレがウォシュレットになっているのではないでしょうか。
自分の身の周りで言っても、家も会社も完全にウォシュレット化されているので、たった数泊とは言え、そうでない環境は辛いと言えば辛いのです。
でも、考えてみたら TOTO がウォシュレットを発売してからまだ40年も経っていません(そもそもウォシュレットというのは TOTO の商品名であって、一般名詞としては温水洗浄便座と言うべきですが)。
今の若い人は40年前の、ウォシュレットが1台も存在しなかった時代を想像できるでしょうか? あるいはそういう環境に耐えられるでしょうか? 数日どころではなく、1年365日ウォシュレットが使えないんですよ。
ウォシュレットは私たち以上の世代の人生の途中で(私の場合は大学時代に)登場しました。あの時の TOTO のテレビCM の強烈な印象を私はいまだに忘れることができません。
それは「お尻だって洗ってほしい」というヘッドコピーでした。
戸川純が出てきてこう言うのです。「手が汚れたら手を洗いますよね? お尻が汚れたらどうしますか?」 そう言って戸川純は手に墨をつけて真っ黒に汚し、それを紙で拭いて見せるのです。
もちろん紙で拭っても墨は落ちません。それどころか墨は薄く手全体に広がって、手が真っ黒になります。
当時の私たちはあの CM を見て、「そうか! お尻はそういう状態になっていたのか!」と改めて愕然としたのです。そして思ったのです。「俺だってお尻を洗いたい」と。
締めのコメントで戸川純は「お尻だって洗ってほしい!」と言います。
それは戸川純(あるいは TOTO)が主語で、「戸川純(TOTO)としては手だけでなくお尻だって洗ってほしいと思う」という意味にも取れますが、お尻を主語にして「お尻としては手だけではなく自分たちのことも洗ってほしいと思っている」と、お尻が主張しているようにも取れます。
そういう意味で秀逸なコピーだったと思うのですが、そう考えると、ハワイ島のお尻はまだ主張をしないおとなしいお尻なのかもしれません。
でも、これは一度覚えてしまうともう抜けるのは不可能だと思います。他の習慣、たとえば酒や煙草やギャンブルの比ではないでしょう。いずれハワイ島のお尻も主張をし始めるのだろうと思います。