「この姿はいづれも水神としての要素をあらわし、なかでも釣竿は水界を支配する表象であると解釈して、「釣をする老翁は、水界支配に関わり、水路さらには土地の教導者」としての神であるという」
(出典: 阿部泰郎 (1980年) 「二節 白鬚明神: 比叡山縁起」, 「四章 比良山の神々」, 「一、比良山系をめぐる宗教史的考察: 寺社縁起を中心とする」, 『比良山系における山岳宗教調査報告書』, 元興寺文化財研究所, 48ページ.)
えの! しま!! どーん!!!
(」・ω・)」 (〉・ω・)〉 (/・ω・)/
どうも、倉田幸暢です。
m(_ _)m
滋賀県大津市石山寺(滋賀県南部)に、石山寺(いしやまでら)というお寺があります。
この石山寺の縁起(お寺の起源についての伝説)を描いた、『石山寺縁起絵巻』という絵巻物があります。
この『石山寺縁起絵巻』のなかには、ぼくが研究している香取本『大江山絵詞』(かとりぼん・おおえやまえことば)の絵巻のなかに描かれている、酒天童子(酒呑童子)の原型のひとつとなったとおもわれる、比良明神(ひらみょうじん)という神が登場します。
この下の引用文は、その『石山寺縁起絵巻』の第1段の詞書(ことばがき)のなかの、比良明神についての記述がある部分です。
夫石山寺者
聖武皇帝之勅願、良弁僧正之草創也。本尊は二臂の如意輪六寸の金銅の像、聖徳太子二生の御本尊云々。丈六の尊像を造て其御身に彼お像をこめたてまつる。
〔中略〕
蔵王の作るところ、黄金を祈て盧舎那仏の荘厳をそへ、古老のかたるところ、紫雲を尋て比良の明神の施興を得たり。是を旧記に撿てみな不朽に伝ふ。
〔中略〕
近江国志賀の郡水海の岸の南に一の山あり。大聖垂迹の地なり。かの処にて祈申べしと云々。其告によりて僧正この山にたづね入に、一人の老翁岩ほの上にして釣をたれしにあへり。僧正尋問て言、汝はなに人ぞや。又このところに霊処ありや。答云、この山の上に大なるいはほあり。 八葉の蓮花のごとく、紫雲つねにたなびきて、瑞光しきりにかゞやく。観音利生の砌、地形勝絶の境なり。我は又当山の地主、比良明神也と云てかきけすやうにうせにけり。
(出典: 『石山寺縁起絵巻』第1段詞書(ことばがき).)
ちなみに、滋賀県の琵琶湖の西部(湖西地域)や、南部(湖南地域)には、比良明神が座って釣り糸を垂れていたとされている「釣垂岩」(つりたれいわ)という伝説がある岩が、いまも複数、現存しています。具体的には、下記の場所に、「釣垂岩」があります。
●白鬚神社(しらひげじんじゃ)(滋賀県高島市鵜川)の釣垂岩(比良山地(ひらさんち)のふもとの釣垂岩)
●比叡山延暦寺の小比叡峰(おびえみね)の中腹の修禅峰道(しゅうぜんみねみち)の釣垂岩
●石山寺(いしやまでら)の釣垂岩(比良明神影向石(ひらみょうじんようごうせき))
●奥津島神社(おくつしまじんじゃ)(滋賀県近江八幡市北津田町)のあたりにあった釣垂岩(場所不詳)
これらの「釣垂岩」は、どれも水に関係のある場所にあります。具体的には、つぎのようなかんじです。
●白鬚神社(しらひげじんじゃ)の釣垂岩は、文字通りの、「水際」(みずぎわ)である、琵琶湖の湖岸にあります。
●比叡山延暦寺の小比叡峰(おびえみね)の中腹の修禅峰道の釣垂岩がある場所は、水源地帯です。小比叡峰を水源として流れ出た水は、その東の地主谷をとおって、大宮川となり、比叡山地の中央の谷を南下して、やがて、東のふもとである坂本の地域を流れて、琵琶湖へと注いでいます。
●石山寺の釣垂岩(比良明神影向石)については、石山寺のすぐ東には、瀬田川が流れています。また、かつては、瀬田川の流れは、現在よりももっと、東大門(石山寺の正門)のちかくを流れていたそうです。また、石山寺には、かつて、八大龍王が出現したとされている、龍穴と呼ばれる池がいまも現存しています。
●奥津島神社のあたりにあった釣垂岩については、奥津島神社は、琵琶湖の湖岸のちかくにあります。また、奥津島神社がある場所は、現在は陸続きになっていますが、かつては、陸地と分かたれていて、奥島と呼ばれていた、琵琶湖に浮かぶ島でした。
このように、比良明神の聖域である「釣垂岩」(つりたれいわ)は複数存在していて、そのどれもが、水に関係のある場所にあるということも、比良明神が水神であることの証拠のひとつではないかとおもいます。
『石山寺縁起絵巻』第1段の詞書と絵図についての詳細はこちら
https://wisdommingle.com/?p=25247#jump_200601a
「釣垂岩」(つりたれいわ)についての詳細はこちら
https://wisdommingle.com/?p=21616#jump_200601b
「これ好奇のかけらなり、となむ語り伝へたるとや。」