タイトル一行で終わってしまいましたが。
その理由は「テクノロジーの進歩によって、今まで評価できなかったことも評価できるようになるから」です。
私は以前この記事で、オリンピックの楽曲制作を担当した小山田圭吾氏が、いじめ報道によって辞任したことに触れていましたが。
これが非常にわかりやすい一例なのではないかと思います。
所謂IT革命によって、特別な立場ではない一般のお客さんがありとあらゆる情報を簡単に、かつ低コストで入手できるようになりました。
つまりそれ以前は、お客さんが情報を得る術がないため「仕事の能力が高い(でかつ、そのアピールの上手い)」ことのみが高く評価されていたのです。
というわけで、上記リンク先の記事で以下のように書きました(引用します)。
今回の東京五輪で「仕事のできる人材に対して、甘すぎる」という欠点が露呈し、これまで許されていた人が許されなくなったのは何故でしょうか?
それは「仕事のできる人が持つ高い能力によって普通の人より多く得られる利益よりも、その人の欠点をお客さんに知られることで発生する損失の方が、遥かに大きくなった」からです。
もちろんこの背後には「インターネットがインフラ化し、客側の得られる情報が爆発的に増えた」という要因が潜んでいます。
引用は以上です。
これを図にまとめますと以下です。
(いじめをもっと一般的に「セクハラやパワハラなど」に置き換えました)
さらにこれを別の形で言いますと、以下のようにもなります。
・セクハラやパワハラを「された方が気の毒だ」と思ってやらなかった心の良い人も、より評価される時代になった
で、このことを「心の良さ」ではなく「頭の良さ」で、つまり「思い遣りではなく理論でわかっている人」も、もちろんこのような行為はやらないでしょう。
そう言えば以前、以下の記事で「差別は経済的な損失にも繋がる」ということを書いたことがありました。
(上記リンク先の記事でも触れていますが、この記事を書いたのはIMAKARA様のこの記事を拝読したことがきっかけでした。
こちらもおすすめですので、お時間のある方は是非!)
つまり、差別も「された方が気の毒である(=気の毒だからしちゃいけない)」だけではありません。
それはもはや当たり前の話であり、今は「経済的な損失にもなる(=損するからしちゃいけない)」の時代になっているのです。
はっきり言って、日本人が全体的に貧しくなっているのは、ここら辺の理由もあるのではないかと私は疑っています。
「頭と心の貧しい人は、金銭的にも貧しくなる」
お金の持つ三つの機能の中に「価値の尺度機能」がありますけれども、時代の流れによって徐々にこの精度が上がっている、とも言えるのではないかと。