以前にも、教養が「ない、とは言えない」ことについて書きましたが。
『続・教養が「ない、とは言えない」という状態にするコツとは?(もっと簡単な方法がありました)』
今回は別の角度から、より具体的にお話ししたいと思います。
芸術などの作品を観賞する能力については主に、受ける側の感受性(=受ける能力)によることは以前にも書いたことがありました。
実はそれだけではなく、その受ける人の持つ情報によっても異なるというのが、今回の話です。
例として『東京砂漠(作詞:吉田旺、作曲:内山田洋)』という歌を挙げます。
歌唱はちあきなおみさんのもので。
オリジナルは内山田洋とクール・ファイブ(で、メインボーカルは前川清さん)でした。
作曲をされた故・内山田洋さんが自らの歌謡グループである「内山田洋とクール・ファイブ」で歌われたものです。
作詞をされた吉田旺さんにはこの曲以外の代表作として、ちあきなおみさんの「喝采」があります。
引退された後のちあきさんとも親交のある、数少ない方のお一人だそうです。
ちあきさんがカバーされた「東京砂漠」もありまして、個人的には「作詞側からのオリジナル」とも言えるほど、オリジナルに近いものではないかと思います。
ちあきさんは先ほど挙げた代表作の「喝采」以外にも、すばらしい作品が多数ありますけれども。
旦那さん(俳優の郷鍈治さん。故・宍戸錠さんの弟で宍戸開さんの叔父)が亡くなったことで、あまりにも悲し過ぎて歌えなくなり、事実上の引退に至ったとのこと。
(柩にしがみつきながら「私も一緒に焼いて」と号泣したそうです)
その後、一度も復帰しないままで現在に至っています。
と、ここまでのことを知った上で、ちあきなおみさんの「東京砂漠」をどうぞ。
どうでしょう?
胸にぐぐっと、こう……来ませんか?
特に、以下の歌詞の辺りが。
あなたの傍で あゝ暮らせるならば
つらくはないわ この東京砂漠あなたがいれば あゝうつむかないで
歩いて行ける この東京砂漠あなたがいれば あゝあなたがいれば
陽はまた昇る この東京砂漠
普通に聴いても胸に迫って来る感じですけれども。
上に書いたちあきさんご自身のことを知っていると、さらに来るものがあります。
歌手としては「あなた」がいなくなったから、つらいし歩いて行けないし陽もまた昇らない、だから引退しました……っていう……。
ちあきさんがこの歌を歌った時にはいた、あんなに愛していた「あなた」がこの後に亡くなるわけで、そういうことを思いながら聞いているとですね……
うわぁああああーーーーーっ!!!
……って、なってしまいませんか?
私はなりました。
で、さらにですね。
ここでもし、私が大阪ではなく東京にずっと住んでいていろいろあって、そのいろいろがとーっても悲しいことばっかりだったりすると、もしかしてもしかすると、号泣していたかもしれません。
つまりこれは、聞き手である私の方にもそういう情報があったなら(=もっと多くの情報を持っていたら)、という話になります。
というわけで、今回の結論は冒頭の『続・教養が「ない、とは言えない」という状態にするコツとは?(もっと簡単な方法がありました)』に近いものとなります。
つまり……
◎自分にはわからない他者の趣味を「私にはわからないが、あの人をあんなに幸せにしているのは素晴らしい、きっと良いものだろう」と思うこと
……です。
「私にはわからない」が「あの人を幸せにしている」ものとは、私にはない「何らかの情報をあの人が持っていて、それを心地よいものと感じている」ということもあるのでは、と。
そういうお話でした。
※今回の記事を書く際、ウィキペディアを参照させて頂きました