これは私も悩んだことがありまして、それを拗らせて大学やめました。ははっ。
日本では「好き(好きなものや好きなこと)」がなければならないという、圧力みたいなものがあります。
昔から「好き」なことを仕事にしよう、っていうのはあったわけですが。
最近は「好き」なことで教養を身に付けよう、みたいなんもありますね。
(後者についてご興味ある方は、以下の記事もよろしくお願い致します)
以上)
で、ここで「好き」が何もないんですけど、という場合について。
この場合は「興味のあることを調べることから始める」という答えになる、ことが多いと思います(私もその一人です)。
今回はそのことを含めて、それ以外の幅広い答えを考えてみました。
まずは「好きなものや好きなことがない」のは、どういう状態なのか?
1,些細なことだから、ないと思っている
2,言語化できていないから、ないと思っている
3,本当に全然ない
上記1番と2番は、本当はあるけどないと思っているという状態です。
1番の「些細なこと」には「大したことのないものが好き」という対象物に対しての「些細」だという意味と、好きである度合いが「些細」だ、即ち「興味がある程度の好きな感情しかない」という意味も含まれます。
この場合の解決策が「興味のあることを調べることから始める」ということになりますね。
今は、インターネットという便利な道具もありますし。
2番の言語化できていない場合は、そもそも言語化しなくても良いじゃないかという話になります。
というのは、何でも言語化できるという前提が間違いであり、言語化できないものは存在しないのかと言えば、そんなことはありません。
哲学者の佐藤徹郎先生の『科学から哲学へ―知識をめぐる虚構と現実』という著書に、以下のような例がありました。
○「クラリネットはどんな音ですか?」の問いには言語では回答できない
この質問に答えるためには、実際にクラリネットを吹くか録音を聞かせるなどをして、その音を聞いてもらうしかありませんよね。
存在していることが意識できているのであれば、言語化できていなくても良いのです。
ただし、言語化できて誰かに伝えられる状態にした方が会話ができて楽しいですし、その会話の中からさらに楽しい何かが見つかるかもしれません。
そのために、インターネットでいろいろ調べてみるというのも良いと思います。
3番の「本当に全然ない」って言う状態については冒頭でも触れましたように、私も陥ったことがあります。
結論から先に言いますと「楽しいことが何もないという現実を受け入れて、それを探すことから始める」ということで解決しました。
つまり「探す」という目的のために行動を開始することで、その問題を解消しようとしたわけです。
「楽しいことが全然ない」という状態って、辛いですよね。
大学に入る前までは実家にいたわけですが、その間に私は母から「娯楽などのお金にならないものは基本、ムダである」という教育を受けていました。
(禁止されていたわけではありませんが、所謂マインドコントロール状態にあったと思います。
ここら辺の話にご興味ある方は、こちらの記事もよろしくお願い致します)
母はちと古い言い方をしますと、教育ママでした。
当時の私は、勉強が楽しくなくて嫌いで嫌いで仕方がなかったのですけれども。
母が言うには「楽しくないのは受験勉強だからであって、大学に入ってからの勉強は楽しいものだ」と。
だから「今、がんばって受験勉強をしたら、大学に入ってから楽しい勉強ができる」と。
そのように言われていたわけですが。
実際に大学に入って、講義を受けても全然楽しくありませんでした。
私は「母に騙された」と思いました。
「私に受験勉強をさせるために、楽しくないものを楽しいと言った」
ですが、今、勉強するのは楽しいです。
母は騙したわけではなく、母にとっては大学の勉強が楽しいものだったのでしょう。
今だからそのように思えますけれども。
当時の私は「大学の勉強は楽しいのだから」で、いつの間にか他の楽しいことを失っていたわけでありましてですね。
(ここら辺の話にご興味ある方は、こちらの記事もよろしくお願い致します)
その時に「私には楽しいことが何一つない」ということに気付いて愕然としました。
そしたら、大学にいる他の学生が楽しそうで楽しそうで楽しそうで楽しそうで。
「私だけ、楽しいことが何にもない」とか思ったら、もう行けなくなりました。
まぁ、そんなこんなで、いろいろあって、現在に至りますけれども。
当時はまだインターネットがなかったので、私は外に出て(リアルで)探しに行くしかありませんでしたが。
今ならネットで何ぼでも調べることができますよね。
ということで、結論としては以下。
◎インターネットを使い倒す
以上です。